マレーシア

1 章 基礎知識

    • 基礎知識

      ■ 正式国名 ➡ マレーシア 英語名:Malaysia
      マレーシアは、東南アジアで最も標高の高いキナバル山をはじめ多くの山が存在していることから、「山脈のある土地」を意味するサンスクリット語のMalayadvipa(マラヤドヴィパ)を語源とするMelayu(ムラユ)より、その名がつけられました。イギリス植民地時代に「イギリス領マラヤ」と呼ばれるようになり、1 9 5 7年に「マラヤ連邦」として独立。その後1 9 6 3年に現在の「マレーシア(Malaysia)」という国名になりました。

      ■国旗
      14本の紅白の線は、マレーシアの13の州と連邦特別区である首都クアラルンプールを表し、三日月と星は国教であるイスラム教のシンボルで、団結をあらわす青色を背景にして、スルタン(首長)の色とされる黄色で描かれています。マレーシア独立の1963年にこの国旗に制定されました。
       


      ■面積・国土 → 約33万290平方㎞ (日本の約0.9倍)
      マレーシアの国土は、南シナ海をはさんでマレーシア半島北部とボルネオ島北部の二つに分かれています。国土面積は約33万290平方㎞で、半島部分が国土の4割、東マレーシアが6割となっています。
      半島部分は「マレーシア半島地区(Semenanjung Malaysia)」と呼ばれ、北部でタイと、最南端でシンガポールと隣接しています。ボルネオ島北部地域は「東マレーシア(Malaysia Timur))」呼ばれ、ブルネイおよびインドネシアと国境を接しています。
       
       
       
       

      ■首都 →クアラルンプール

      人口約1 8 0万人を擁する首都クアラルンプールは、東南アジア有数の近代都市のひとつです。マレーシアの政治・経済の中心で、1 3の州とならぶ連邦独立区となっています。

      クアラルンプールは1 9世紀半ばに中国人による錫の採掘拠点として開発されました。その後イギリス植民地時代には、ゴムの集積

      1963年にマレーシアとなった後も首都として現在に至ります。クアラルンプール市内の慢性的な交通渋滞や行政機関の効率化のため、空港からの高速鉄道のほか、2 0 1 7年7月中旬よりMRTと呼ばれる鉄道システムが全面開通しました。


       
      ■気候
      赤道近くに位置するマレーシアは、国土のほとんどが熱帯雨林気候に属しており、一部の高原地帯を除いては、一年を通じて気温、湿度ともに高い常夏の気候です。  
      モンスーン(季節風)の影響を受けるため、地域によって時期が異なりますが、雨季と乾季があります。しかし、乾季にもスコール(にわか雨)が降るため、一定の雨量があります。
      年月
      観測値 平年値
      月平均気温
      月平均最高気温
      月平均最低気温
      月降水量
      mm
      月平均気温
      月降水量
      mm
      2016年7月 28.4 33.6 24.8 231 27.5 150.3
      2016年8月 29.3 33.9 25.6 118 27.4 164
      2016年9月 28.5 33.4 24.6 247 27.2 200.2
      2016年10月 29.4 33.2 25.0 174 27.1 256.6
      2016年11月 27.3 32.1 24.5 362 26.8 333.5
      2016年12月 27.5 32.0 24.5 256 26.7 255.6
      2017年1月 27.4 32.2 24.4 243 26.9 210.3
      2017年2月 28.0 33.1 24.7 108 27.3 203.6
      2017年3月 27.8 33.3 24.8 218 27.6 273.7
      2017年4月 27.8 33.1 24.9 337 27.7 286.7
      2017年5月 28.7   24.4   28.0 198.1
      2017年6月 28.5       27.9 139.7
      出所:気象庁

      ■ 人口 ➡ 約3,200万人(Central Intelligence Agency)

      2 0 1 7年7月現在のマレーシアの人口は、3,0 0 0万人を超えて約3,2 0 0万人となっており、さらに増加傾向は継続する見込みと予想されています。

      人口に占める民族比率は、マレー系(先住民族であるブミブトラを含む)が約6 1.9%、中国系が約2 3.0%、インド系が約7.0%です。また、首都クアラルンプールの民族比率を見ると、マレー系が

      約45.9%、中国系が約43.2%、インド系が約10.3%となっています。今後は、中国系とインド系の人口上昇は限定的で、マレー系とブミブトラの人口は大幅に増加すると見られています。少子高齢化が進むこ

      とも考えられ、人口増加率はやや低下傾向を示すようになるだろうとの見方もあります。


        

      ■時差 → -1時間   (UTC +8)
      日本とマレーシアの時差は-1時間で、日本が正午にマレーシアは午前11時となります。サマータイムは採用されていません。
      マレーシア半島地区とボルネオ島の東マレーシア地区は経度が大きく異なりますが、統一した時間帯としてUCT+8となっています。中国、フィリピン、シンガポールなどと同じ時間帯です。

      ■言語 →公用語: マレーシア語、英語 
      マレーシアには複数の言葉を話す人が多く、多言語社会であると言えます。マレー系の人たちは母語としてマレーシア語、中国系の人たちは中国南部をルーツとすることが多いため広東語や福建語などを話しますが、北京語を習得している人も多くいます。インド系の人たちはインド南部の言語であるタミル語を話す人が多いです。また、東マレーシアのサラワク州とサバ州などでは、ブミプトラと呼ばれる先住民のビダユ語、カダザン語、イバン語といった民族言語が使用されています。
      公用語は、旧宗主国の影響から、独立国家となったのちも英語でしたが、1967年に「マレー語」が公用語となりました。よく似た言語であるインドネシア語を含めてマレー語と呼ばれることによる混同をさけるため、2007年からは「マレーシア語」と呼ぶようになっています。英語は準公用語的な位置づけとして、多くの民族の共通語として使用されることが多く、英語のみを母語として話す人も多くいます。

      ■通貨 →リンギット(Ringgit) 略称:RM、またはMYR)
      マレーシアの通貨単位は「リンギット(Ringgit)」で、略称はRM または、MYRで表記されます。日本語では「リンギ」と表記されることもあります。一部では、マレーシア・ドルと呼ばれることもありますが公式名称ではありません。補助単位はセン(sen)で略称で¢が使用されます。100センが1リンギットです。
      紙幣は100 RM、50 RM、10 RM、5 RM、1 RMの5種類、硬貨は50¢、20¢、10¢、5¢、1¢の5種類あります。


      出所:OANDA
    • マレーシアの宗教

      ■ マレーシアの宗教

      マレーシアはイスラム教を国教と定めた国です。しかし、信教の自由を認めており、実際には複数の宗教が存在します。多数派であるマレー人はイスラム教徒で、人口の6割以上を占めます。中国系の多くは仏教徒やキリスト教徒、インド系はヒンズー教徒が多く、そのほかにもインドなどを出自とするシーク教徒、ボルネオ島北部地域のアニミズム(土着宗教)を信仰する人々がいます。


       
    • マレーシアの政治体制

      ■ マレーシアの政治体制
       
      政治体制  立憲君主制(議会制民主主義)
       
      元首  アブドゥラ・リアトゥディン・アル・ムスタファ・ビラ・シャー 第16代国王
            
      政府
      首相:ムヒディン・ヤシン(2020年3月就任)
      外相:アニファ・アマン(2009年4月就任)
       
      議会  二院制(上院/下院)
      上院 70議席、任期3年
      (国王任命による議員が44名、州議会の指名による議員が26名)
       
      下院 222議席、任期5年
      (小選挙区制による直接選挙)
       
      司法
      連邦裁判所、控訴裁判所、高等裁判所の3審制および、下級裁判所。
      ただし、イスラム教徒同士に限って取り扱われるイスラム法にのっとったシャリーア法廷もあります。
       
      立憲君主制による議会制民主主義体制をとっており、元首は国王で、各州(一部を除く)のスルタンによる互選で国王が選出されます。議会は国王任命と州議会指名による上院と、国民の直接選挙による下院からなります。
       
      1981年よりマハティール氏が首相へと就任し、日本をはじめ他のアジア諸国の成功に目を向けようとする「ルック・イースト政策」を打ち出し、1988年以降は高い経済成長率を維持しました。2003年に23年間にわたって続いたマハティール首相が政界を引退したのち、2003年より、マハティール政権と同じく統一マレー国民組織(UMNO:United Malays National Organization)のアブドラ政権に移行しました。
      アブドラ政権下ではイスラム教国という特色を生かし、中東と東南アジアのビジネスハブを目指す「ハラル・ハブ政策」を掲げ、ハラル産業に対する税制優遇などを実施しました。しかし、2008年3月の総選挙で、独立以来政権を担ってきたUMNO中心とした与党が大幅に議席を失い、当時副首相であったナジブ氏へと政権が移譲され、ナジブ政権が成立しました。
       
      その後、2013年5月の総選挙で、ナジブ首相が率いる与党連合は現有議席をほぼ維持して、第二次ナジブ政権が発足しました。ナジブ政権は、政治腐敗や民族対立を背景に、「One Malaysia」(1つのマレーシア)をスローガンとして、行政改革プログラム、経済変革プログラム、民族融和の提案などを打ち出しました。しかし、第二次ナジブ政権下で発覚した巨額の不正経理疑惑、2015年の扇動法(The Sedition Act)改正による罰則強化、テロ防止法(ThePrevention of Terrorism Act)の可決による行政権の強化によって、支持率は30%台に低下しました。
       
      2018年5月に行われた総選挙では、野党希望連盟(PH)の構成政党である人民正義党(PKR)と民主行動党(DAP)で113議席を獲得し、ナジブ政権は敗退して、マハティール氏が14年ぶりに首相に返り咲きました。これは1957年の独立以来、初めての政権交代です。

       

      そして2020年、マレーシアのアブドゥラ・リアトゥディン・アル・ムスタファ・ビラ・シャー国王は229日に、マレーシア統一プリブミ党(PPBM)党首で、前内務相のムヒディン・ヤシン氏を第8代首相に任命し、翌31日に宣誓式を行いました。 

      事の発端は、マレーシアを長年率いてきたマハティール・モハマド前首相(94歳)が、2020224日に辞表を提出したことから始まりました。
      辞表提出を受け、同氏が総裁を務めるマレーシア統一プリブミ党(PPBM)の党首ムヒディン・ヤシン内務相は、与党連合のパカタン・ハラパン(PH)からPPBMが離脱することを表明。さらに、PHの構成政党の1つである人民正義党(PKR)副党首で、前経済相のアズミン・アリ氏ら11人の議員がPKRを離党しました。
      結果、連邦下院(定数222での過半数(112議席)の支持を得る政党連合がなくなり、次期首相候補を決めるため、国王が222人の全国会議員と面会、各党の代表者との議論を重ねてきました。 
       
      憲法では、首相の任命権や下院の解散要請に対する同意権などの権限は国王に与えられており、憲法において国王の判断で過半数の信任を得そうな下院議員を首相に任命できると定められています。
      よって、マレーシア国王は229日午後6時ごろ、「国民のためにも、次期首相の任命プロセスを長引かせるべきではない」と一連の政治混乱を収めたい意向を示した上で、マレーシア統一プリブミ党(PPBM)党首で、前内務相のムヒディン・ヤシン氏を第8代首相に任命しました。
      ムヒディン新首相は、20203月時点で72歳になります。1971年にUMNOに入党し、大臣職を歴任後、20092015年に副首相を務めあげました。その後、ナジブ・ラザク元首相の汚職疑惑問題を受けて、20167月にUMNOを離党。同年8月にマハティール氏とともにPPBMを結成し、20185月の総選挙後からマハティール政権において内務相を務めていました。
      一方で、229日午後11時ごろ、マハティール氏がフェイスブックで、PPBMのうち自身を含む6人はムヒディン氏を次期首相として支持しないとし、PHは、ムヒディン新首相に対する不信任決議案を提出する意向を示しました。
      しかしながら、マレーシアのモハマド・アリフ・モハマド・ユスフ下院議長は34日、9日に予定していた下院議会の開会を518日に延期することを発表。元与党連合の希望連盟(PH)は、ムヒディン・ヤシン新首相に対する不信任決議案提出に向け、予定どおりの開会を主張していましたが、叶わないものとなりました。
      また、マレーシアのムヒディン・ヤシン新首相は39日、新内閣の閣僚名簿を発表しました。閣僚は大臣が31人、副大臣が38人となります。ムヒディン首相が32日に「政治手腕があり、信用ができるクリーンな人物を選ぶ」と述べたように、起訴や係争中の議員は選出されませんでした。
       
      新与党連合(Perikatan NasionalPN)における主要政党のマレーシア統一プリブミ党(PPBM)から10人、統一マレー人国民組織(UMNO)から9人で、全体の約6割を占めています。もう1つの主要政党で、今回初めて与党となる全マレーシア・イスラーム党(PAS)からは3人が選出され、友党として、与党連合への支持を表明したサラワク州与党のサラワク政党連合(GPS)からも4人が名を連ねることとなりました。
       
      新与党連合(PN)の構成政党は、マレー系およびムスリムが中心となる政党が多く、GPSに代表される東マレーシア出身議員は多くが先住民の出身です。マハティール前政権と比べて大きな違いといえるのは、上記の通り、首相を含めた70人のうち約9割をブミプトラが占めることになった点です。
      併せて、民間出身者も新しく起用しています。1人は財務大臣に任命されたザフルル・アブドゥル・アジズ氏で、マレーシアの地場銀行大手であるCIMB銀行の最高執行責任者(CEO)です。もう1人は、イスラム教宗教指導者であるズルキフリ・モハマド・アル・バクリ氏で、首相府大臣(宗教担当)に任命されました。両氏は上院議員に任命の予定です。
      民間出身者を多く起用した点で評価される一方、閣僚の増加や、省庁の再編および増加、所管内容が不明な省庁に関して疑問を投げかける声などもあるのが実情です。今後も、新首相による方針変更内容には注視していくことが必要になってきます。
    • マレーシアの歴史(~現代)

       ■マラッカ王国の隆盛とイスラム教(14世紀~15世紀)
      古くからインドとの交易が盛んだったマレーシア半島西部に、14世紀にマラッカ王国が興りました。マラッカ王国は、インドと中国、そしてアラブ世界を結ぶ海の交易の要衝として栄えるようになります。8世紀にはすでにイスラム教が伝わっていたと見られていますが、本格的には、14世紀にマラッカ国王がイスラム教に改宗したことを契機として、広くイスラム化したと言われています。

      ■植民地時代(16世紀~20世紀前半)
      16世紀から20世紀にかけて欧州各国による占領、植民地支配が続きます。
      マラッカは16世紀初めにポルトガル、17世紀にはオランダに占領され、東インド会社による支配が続きます。18世紀になると、フランスがベナンを占領、その後、イギリスもまた東インド会社の拠点を築き始め、1824年には、英蘭協約によってマレー半島とボルネオ島の北部がイギリスの植民地となります。
      19世紀にはマレー半島は錫の一大産地として栄え、20世紀になると天然ゴムの生産が加わり活況を呈しまします。このころに中国南部やインド南部などから大量移民があり、多民族地域となりました。

      ■第二次世界大戦の終了とマレーシアの独立(1945年~1965年)
      第2次世界大戦時が勃発し1942年に日本軍がマレーシア一帯を占領し、1945年の終戦まで続きます。終戦後、1948年にはイギリスが再び宗主国となり、「イギリス領マラヤ連邦」となりました。
      その後、1957年8月にマレー半島部は、独立国「マラヤ連邦」となり、1963年にはボルネオ島北部のサバ、サラワクとシンガポールが加わり、「マレーシア」の樹立となりました。その後、1965年にシンガポールが独立分離して、現在のマレーシアとなっています。

      ■マレーシア草創期の混乱
      マレーシアは、独立後しばらく混乱が続きます。1969年には、総選挙後に与野党の支持者が衝突をし、「5月13日事件」と呼ばれる騒乱事件が起きました。中国系とマレー系住民による民族対立が根底にあり、多民族国家としての課題が噴出した結果と言われています。
      「5月13日事件」の責任を取る形で、マレーシア初代首相であるラーマンが辞任し、ラザク政権となりました。ラザク首相は、「5月13日事件」に至る要因の1つとして、中国系に対するマレー人の経済格差とし、新経済政策(NEP: New Economic Policy)を打ち出しました。NEPは、マレーシアの経済成長を推進する国家戦略であるとともに、マレー人(一部先住民を含む)の優遇政策の柱ともなりました。

      ■マハティール時代(1981年~2003年)
      1981年 にマハティール首相が就任しました。統一マレー人国民組織(UMNO)を中心として、中国系やインド系政党、サバ、サラワクの地域政党を取り込み、広範な与党連合である国民戦線(BN: Barisan National)を支持基盤として、2003年まで22年余におよぶ長期政権が続きました。
      1980年代は、日本や他のアジア諸国の成功に学ぶ「ルック・イースト政策」を打ち出し、インフラ整備、国営企業の民営化、外資の積極導入と外資系企業の誘致といった経済振興策を実施しました。その結果、他の東南アジア諸国に先立ち、シンガポールとともに1980年代から経済成長を遂げることとなりました。

      ■アジア通貨危機
      隣国タイに端を発して東南アジアや韓国など広くに連鎖した「アジア通貨危機」は、1998年にマレーシアにも深刻な事態をもたらしました。対外債務比率が高く、リンギットは暴落し経済は混乱しました。
      IMFによる財政支援と緊縮財政による経済の立て直しではなく、為替レートの固定化による通貨安定策と金融資産の国外流出防止策とともに、経済刺激策による経済再建をはかりました。1998年は6.5%のマイナス成長となりましたが、その後、他のIMF被支援国に先駆けて復調をしました。

      ■ポスト・マハティール時代(2003年~)

      マハティール退陣後も、統一マレー人国民組織を中心とした国民戦線の政権が続き、2 0 0 3年から2 0 0 9年にアブドラ・バダウィ政権、2009年からナジブ・ラザク政権となりました。しかし、2008年の総選挙で、国民戦線は大幅に下院の議席数を減らし、州議会選挙でも野党が12州中5州で勝利を収めました。野党勢力結集の動きもあり、長期間にわたる安定与党体制に変化が起きつつあると言われました。ナジブ政権は「1(one) Malaysia」をスローガンに掲げ、経済変革プログラムや行政改革プログラムを打ち出し、分断され対立化しつつある階層や民族の融和を訴えて支持拡大を図っています。

      しかし実際には、ナジブ首相がアドバイザリー・ボードの議長を務めるマレーシア政府のソブリン・ファンド、「1MDB(1 MalaysiaDevelopment Berhad)」の総額約420億リンギットに上る巨額負債と不正経理疑惑が発覚しています。また、就任直後には廃止を約束していた扇動法(The Sedition Act)を2015年に改訂し、禁固刑の期間が延長されるなど、刑罰を強化しました。さらに同年、テロ防止法(The Prevention of Terrorism Act)を可決し、裁判を経ることなく、警察署の判断で容疑者を5 9日間拘束し、テロ防止委員会の判断によって無期限に延長することを認めるなど、行政権の強化を図っています。こうした政策・不正疑惑から内閣支持率は3 0%台にまで低下し、2 0 1 8年5月に行われた総選挙では野党の希望連盟(PH)の構成政党である人民正義党(PKR)と民主行動党(DAP)で1 1 3議席を獲得し、ナジブ政権は敗退しました。これは1 9 5 7年の独立以来、初めての政権交代です。





       
    • 教育

      ■ 教育

      マレーシアの教育制度は、小学校6年、中学校5年となっています。義務教育は定められていませんが、公立学校の就学率は高く、小学校はほぼ100%となっています。

      多民族国家であるマレーシアの初等教育の特徴として、小学校には「国民学校」、「中国語国民型小学校」、「タミル語国民型小学校」の3種類があります。「国民学校」は、マレーシア語で授業を行い、英語が必修となっています。「中国語国民型小学校」は中国語で授業を行い、マレーシア語が必修、「タミル語国民型小学校」ではタミル語で授業を行いマレーシア語が必修となっています。中学校5年のうち前期3年は一般課程としてマレーシア語で授業が行われ、後期2年は「普通科(文系・理系)」「工業科」「職業科」に分かれます。その後、大学への進学者は、大学予備教育を1年~ 1年半を経て大学へ進学します。2年制のカレッジもあり、こちらは予備教育を経ずに進学できます。また、大学は4年(一部5 ~ 6年)となっています。