コロンビア
1 章 基礎知識
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1 章 基礎知識
2 章 経済環境
3 章 投資環境
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基礎知識
■正式国名 → コロンビア共和国
■英語名: Republic of Colombia
■国旗19世紀前半に南アメリカ北部(現コロンビア、ベネズエラ、エクアドル等に相当)に存在したグラン・コロンビア(大コロンビア)で使用されていた「ミランダ」という黄青赤の三色旗を由来としており、1861年に現行の国旗に制定されました。そのため、ベネズエラ、エクアドルの国旗とは同じ配色です。黄色かつて産出していた黄金や豊かな鉱物資源、青は二つの海(カリブ海と太平洋)、赤はスペインからの独立革命のために流された血を表すと言われています。
■面積・国土 → 約1,139,000平方キロメートル (日本の約3倍)南アメリカ大陸の北部に位置し、北がカリブ海、西が太平洋という、南米で唯一両洋に面した国です。東はベネズエラとブラジル、南はペルーとエクアドル、西はパナマと国境を接し中米の陸橋部とつながっています。国土の西部を南北にアンデス山脈が貫いており、首都ボゴダや第2の都市メデジンなど主要都市はアンデス地域にあり、カリブ海沿岸、太平洋沿岸地域を含んだ西部に人口が集中しています。東部はオリノコ川上流域にリャノと呼ばれる熱帯平原、南部は赤道直下にアマゾン川上流域の熱帯雨林が広がり、これらは国土の3分の2を占めます。
■首都 → ボゴダ 人口899万人首都ボゴダはコロンビアの政治、経済、文化の中心で、市域人口899万人(2015年予測)、ソアチャやチアなどの近郊都市を含めた首都圏域人口は約1,000万人の国内最大都市です。アンデス山脈の盆地にあり、標高2,640mという高地に位置します。1538年にスペインの探検隊による植民都市「サンタ・フェ・デ・ボゴタ」建設に起源を持ち、18世紀にヌエバ・グラナダ副王領の首都として北アンデス地域の中心として栄えることとなりました。1819年に「グラン・コロンビア共和国」として独立した際にボゴタに改称され現在に至ります。現在のボゴダは、コロンビアのGDPの4分の1を占め、外資系企業1,000社以上が立地する経済の中心地で、メキシコシティ(メキシコ)、サンパウロ(ブラジル)、ブエノスアイレス(アルゼンチン)などに次ぐラテンアメリカでも有数の経済都市です。また、大学、図書館、美術館、劇場などが多いことでも有名で、文化の中心として「南米のアテネ」と呼ばれる一面もあります。
■人口 4,779万人 (2014年 世界銀行)コロンビアの人口は4,779万人(2014年 世界銀行)で、ラテンアメリカではブラジル、メキシコに次ぐ人口を擁しています。近年は年率1.2%程度の緩やかな人口増が続いており、2030年の人口予測は5,317万(国連)となっています。合計特殊出生率(2010年~2015年)は1.93と2を下回っているため、人口ピラミッドは富士山型(ピラミッド型)から釣鐘型へ移行しており、今後の爆発的な人口増はないでしょう。現在の人口構成は、15歳から64歳までの労働可能人口は全体の64.9%と高く、経済が成長しやすい人口ボーナス期にあります。■気候国土の南部を赤道が貫く低緯度地帯にありますが、アンデス山脈の標高や二つの海洋などの影響を受け、気候風土は多彩です。首都ボゴタは、アンデス山脈の標高2,640mに位置するため高山気候に属し、年間を通じて穏やかな気候ですが、内陸地の特徴として朝晩の寒暖差が大きいことで知られています。年間通して降雨はありますが、4月~5月と9~11月がやや多く、12月~1月と7月~8月がやや少ないです。同じアンデス山脈の高地にある第2の都市メデジンは、ボゴタよりも約1,000m低い、標高約1,500mの盆地にあるため、年間を通じて気温は高めです。一方、カリブ海のリゾート地カタルヘナや、港湾都市バランキージャなどは、低地に位置し、海洋の影響を受けたサバナ気候帯で、年間通して気温が高く、12月~3月には乾季となりほとんど雨が降りません。また、内陸部のベネズエラ国境に近いオリノコ川上流域は熱帯モンスーン気候帯の熱帯平原が続き、ブラジル国境に近いアマゾン川上流域は熱帯雨林気候帯に属したジャングルが広がっています。出所:World Meteorological Organization出所:World Meteorological Organization
出所:World Meteorological Organization
■時差 → ‐14時間(UTC -5)EST(アメリカ東部時間)をとっており、日本時間マイナス14時間となります。例えば、日本時間の正午が、コロンビアでは前日の夜10時、日本時間の午後6時がコロンビアの午前4時にあたります。サマータイムは導入していません。
■通貨 →コロンビア・ペソ(略:COP)通貨単位はコロンビア・ペソで、略号は$と書きます。補助単位としてセンターボがありますが、現在はほとんど使用されることはありません。紙幣は$1,000、$2,000、$5,000、$10,000$、$20,000、$50,000の6種類で、硬貨は$50、$100、$200、$500、$1,000の5種類です。
1コロンビア・ペソ=0.03円(2016年2月24日現在)
■民族コロンビアはラテンアメリカの中でも混血が多い国と言われている国です。2005年の国勢調査をもとにしたCIAの推測では、メスティーソ(先住民と欧州系の混血)と欧州系の合計が84.2%、ムラート(アフリカ系と欧州系の混血)などのアフロ・コロンビアンが10.4%、アフリカ系が3.4%などとなっています。一般に、アンデス地域にはメスティーソが多く、カリブ海沿岸地域にはムラートが多いと言われています。
■言語 → 公用語:スペイン語公用語としてスペイン語が国内ほぼすべての地域で話されています。ただし、数十にわたるケチュア語族系言語、ニェエンガトゥ語、ワユ語など、先住民族言語をローカル言語として使用している部族は、スペイン語以外を母語としています。
■宗教コロンビアでは1991年まではローマカトリックが国教とされていたこともあり、ローマカトリックが人口の約9割を超えるカトリック大国です。現在は宗教の自由が認められています。ローマカトリック以外のキリスト教(プロテスタント)、先住民による土着宗教を信仰する部族も点在します。また、カリブ海沿岸地域などには少数ですがユダヤ教徒、イスラム教徒、ヒンドゥー教徒も定住しています。
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コロンビアの政治体制
[政治体制] 立憲共和制(大統領制)
[元首] フアン・マヌエル・サントス・カルデロン大統領(国民統一党)(第1期) 2010年8月~2014年8月(第2期) 2014年8月(再選)~任期4年
[国会] 二院制(上院・下院)上院:102議席(任期4年)下院166議席(任期4年)
[政府] 首相職はありません副大統領 ヘルマン・バルガス・ジェラス(急進改革党)内務大臣 フアン・フェルナンド・クリスト・ブストス(自由党)外務大臣 マリア・アンヘラ・オルギン・クエジャル財務・公債大臣 マウリシオ・カルデナス・サンタ・マリア(保守党)
ラテンアメリカの中では比較的早い時期に憲政国家となり、1958年に軍事政権が倒れた後は、二大政党(自由党・保守党)による政党政治が長らく継続してきました。21世紀に入ってからは、保守党、自由党の他に、自由党から分離独立した「国民統一党(U党)」、リベラル勢力である「急進改革党」など多党制となり、超党派連立による政権運営となっています。2002年から右派ウリベ前政権が2期8年、2010年から中道右派サントス政権となり、2014年に再選され2期目を迎えています。治安対策や自由経済路線など一定の政策継続性がもたらされるようになり、近年は比較的安定した政治情勢が続いていると言えます。国際的には、南米においてもっとも親米的とされ、反米の旗頭とされる隣国ベネズエラとの関係が常に外交上、軍事上の最大の課題となってきました。2010年にサントス大統領が就任後間もなくベネズエラを電撃訪問し、断交していた国交を回復させるなど、近年は両国の雪解けが進んでいる状況にあります。 -
コロンビアの歴史
[ スペインによる植民地支配] (16世紀~17世紀)先住民チブチャ系、カリブ系民族らによるインディオの文明地域であった現在のコロンビアに、16世紀にスペインの征服が始まり、1530年代に植民地となりました。この地域最大のムイスカ王国の首都バカタは、サンタフェ・デ・ボゴタと改称され、スペインによる植民支配の拠点となりました。一方、スペインから持ち込まれた疫病や略奪などによって、インディオの人口は急激に減少しました。
16世紀になると、カリブ海の港カタルヘナを起点として、アフリカからの奴隷移送と金の積出しが盛んに行われるようになり、イギリスとの海上派遣争いが激化します。このころ南米の北部一帯はヌエバ・グラナダ副王領として再編され、サンタフェ・デ・ボゴタが首都となります。
[ 独立戦争とグラン・コロンビア共和国 ](17世紀~19世紀)17世紀から18世紀にかけて、中南米でのクリオーリョ階層(植民地生まれのスペイン人)が台頭します。19世紀になると、ナポレオンの侵攻により混乱するスペイン本土からの独立運動が始まります。ベネズエラのクリオーリョであるシモン・ボリバルは、スペイン軍との独立戦争に勝利し、1819年に現在のコロンビア、ベネズエラ、エクアドル、パナマなどに相当する、「グラン・コロンビア(大コロンビア)共和国」を樹立、独立を果たします。その後、1830年代にはベネズエラやエクアドル分離独立して、1886年に「コロンビア共和国」となました。
[ 二大政党の対立と千日戦争 ] (19世紀~20世紀)19世紀半ばになると、大地主、貴族、カソリック教会などを支持基盤とする中央集権的な保守党、新興ブルジョアジー、商人、職人、小作農民などを支持基盤して連邦制を目指す自由党が結成されました。二大政党は政権交代を繰り返しながら、対立姿勢を年々先鋭化させていきます。1899年には両党派の緊張が高まり、ついに「千日戦争」と呼ばれる内戦に至ります。内戦は1902年までの約3年間続き、10万人を超える死者が出たと言われています。また、この機に乗じてアメリカはパナマ運河の権益を獲得すべく介入し、1903年にパナマはコロンビアから分離独立しました。
[ ラ・ビオレンシア(暴力の時代)とボゴダ暴動 ] (1940年代~1950年代)第2次世界大戦が終わった1940年代後半、保守党と自由党の対立はさらに過熱していきます。1948年に自由党党首のガイタンが暗殺されたことを契機として、両党派市民の衝突による「ボゴタ暴動」が起きます。暴動は地方に拡大し、死者20万人におよぶ惨状となります。1953年、スタボ・ロハス・ピニージャ将軍らによる軍事クーデターによって、事態は一応の収拾をみることとなります。
[ ゲリラ活動―コロンビア革命軍 (FARC) ] (1960年代~1970年代)長年対立してきた保守党と自由党は、両党の交渉により妥協が成立し、1958年からは政権を交互に担う「国民戦線体制」となります。しかし、貧困を背景とした暴力の連鎖による社会不安は形を変えて拡散していきます。1959年にキューバ革命が起き、1960年代にはコロンビア国内で社会主義武装活動が活発になり、1966年に反政府ゲリラ「コロンビア革命軍 (FARC) 」が発足します。1974年に「国民戦線体制」が終了した後も、FARCはベネズエラやエクアドル国境を越えて勢力を拡大していき、両国を交えた国際紛争へと発展していきます。
[和平への道のりと失敗] (1980年代~1990年代)歴代政権はFARCの掃討(対決)、対話(和平)といった硬軟両路線を行きつ戻りつしながら内戦収束を目指します。1980年代には政府とFARCの和平交渉が進み、FARCは合法政党「愛国同盟」を設立して国会議員を送り込みますが、議員やその支持者数千名が暗殺されるという最悪の事態に陥り、対話の窓口は閉ざされます。さらに、「メデジン・カルテル」に代表される巨大麻薬マフィアの暗躍に、政治家の汚職などにより、コロンビアの治安回復へ道のりはさらに厳しさを増します。
[和平と経済成長へ―ウリベ政権とサントス政権―](2000年~)2002年、対FARC強硬策を打ち出したウリベ大統領が就任、大規模な掃討作戦に出ます。その結果、FARCは大きな打撃を受け、勢力は大きく後退しました。一定の治安回復がもたらされ、コロンビア経済は成長軌道へと向かいます。2008年にサントス政権になると、前政権下におけるゲリラ掃討のための越境軍事行動により断交状態となっていたベネズエラと国交を回復します。2012年にはコロンビア政府とFARCの本格的な和平交渉が開始、人質解放や軍事的停戦に加え、FARCの合法的政治参加、農業改革、麻薬問題の解決などの具体的課題についての話し合いのロードマップが示されることとなりました。停戦合意による治安の回復が進捗して、課題は山積しているものの半世紀にわたるコロンビアの内戦に終止符が打たれようとしています。
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教育システム
コロンビアの教育制度は、5・4・2・5制で、初等教育(小学校)が4年(5歳~10歳)、前期中等教育(中学校)が4年(11歳~15歳)、後期中等教育(高校)が2年(16歳~17歳)、高等教育は平均的には5年(18歳~)となっています。教授言語はスペイン語です。小学校と中学校9年間が義務教育で、就学率は小学校で90.2%、中学校で83.3(2013年コロンビア統計局)となっており、ラテンアメリカでは比較的高いレベルです。しかし、貧富の格差が社会問題になるほど大きく、授業料や教科書代などが有償であるため、経済的な理由による未就学児童もいます。特に、都市部と農村部では教育水準にも大きく開きがあると言われています。大学に入るためにはICFES(高等教育振興機関)が行う共通試験と大学独自の試験に合格する必要があり狭き門となっています。首都ボゴタは、大学や研究機関が多数集積しており、多くの知識人を輩出してきた学問の都としても有名です。
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参考文献
・コロンビア共和国銀行・国際連合(UN)・世界銀行・世界保健機構(WHO)・国際連合教育科学文化機関(UNESCO)・日本貿易振興機構(JETRO)・Demographia
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