トルコ

1 章 基礎知識

    • 基礎知識

       ■正式国名➡トルコ共和国
      トルコ語名:TürkiyeCumhuriyeti(テュルキエ・ジュムフリイェティ)
      英語名:RepublicofTurkey
       
      ■国旗
       
       
      トルコの国旗は赤地に白の新月(三日月)と、「明けの明星」の金星を表す星を配し、月と星は「進歩」「全トルコ人の一致」「独立」を表します。オスマン帝国時代から国旗とされてきたもので、広くアラブ・イスラム諸国の国旗に影響を与えました。現在もオスマントルコ旧領土に当たるイスラム教国の国旗には、三日月と星のマークが多く見受けられます。
       
      ■面積・国土➡780,576㎢(日本の約2倍)
      ちょうどアジアと欧州をまたぐところに位置し、東側(アジア側)であるアナトリア半島が国土の97%を占め、ボスポラス海峡とダーダネルス海峡を挟んだ西側(欧州)のトラキアが残りの3%となります。
      国土の西側は三方を海に囲まれており、北は黒海、東はエーゲ海、南は地中海に面しています。また、西はギリシャ、ブルガリア、東はグルジア、アルメニア、イラン、南側はイラク、シリアと国境を接しています。
       
       
      ■首都➡アンカラ
      トルコ語名:Ankara英語名:Ankara
      アナトリア半島のほぼ中央に位置する人口約497万(2012年)のトルコ第2の都市です。多くの政府機関と大学がある政治と学術の中心地でもあります。トルコの共和制移行に伴い、1923年にイスタンブールに代わり首都となりました。
      古来より、東西交易路の隊商都市として繁栄し、古代ギリシャ時代には「アンキュラ(谷底)」と呼ばれ、地下水が豊富な場所として知られていました。ローマ時代には文化、交易、芸術の中心地となり、オスマン帝国時代にはシルクロードの重要な交易拠点となります。
      現在のアンカラは、歴史的旧市街(ウルス)と、新市街(イェニシェヒル)、その郊外地区に分けられます。旧市街は、ローマ帝国によって造られた都市の姿を現在にとどめ、大劇場や神殿などの観光名所が数多くあります。新市街は、首都として制定された直後の1920年代に、西欧の技術を取り入れて都市計画された、トルコの近代化を象徴する市街地です。また、現在もなおアンカラは人口が増え続けているため、郊外にはいくつもの住宅街があり、地下鉄やバス網などが市の中心地を結んでいます。

      ■気候
      日本の約2倍の面積を持つトルコは、地域によって気候が異なります。また、トルコは日本と同じく四季があり、季節の移り変わりを楽しめます。
      トルコ最大の都市イスタンブールや、トルコ第3の都市イズミールのある、マルマラ海、エーゲ海、地中海沿岸地方は地中海性気候に属し、夏は雨が少なく乾燥しており、冬は温暖で雨も降ります。一方、首都アンカラがある中央アナトリアはステップ気候で寒暖の差が大きく、冬は雪が降ります。さらに東アナトリアにあるエルズルムなどでは、冬場の冷え込みはとても厳しいです。また、サムスンなどが位置する黒海沿岸は温暖湿潤気候に属しており、1年を通じて温暖で適度に雨も降ります。

      ■時差➡-7時間(UTC+2)
      サマータイム-6時間(UTC:+3)
      日本との時差は-7時間です。ただし、サマータイムを導入しており、3月の最終日曜から10月の最終日曜までは、-6時間となります。たとえば、日本時間の正午が、トルコでは通常は午前5時、サマータイム時には午前6時となります。
       
       
      ■人口➡7,666万人(2013年トルコ統計局発表)
      トルコの人口は、現在7,666万人です。これはヨーロッパではロシア、ドイツに次ぐ人口であり、中東ではエジプトに次ぐ人口になっています。1950年に2,094万人、1970年に3,560万人、1990年に5,647万人と増え続けてきました。21世紀になってからも毎年約100万人ずつ増えており、2050年には1億人になると予想されています。出生率は2.11人(2009年世界銀行)です。同年の日本の出生率1.37人と比べると、約1.5倍にあたります。トルコの人口がこのままの増加を続けていくと、2015年にはドイツ、2025年には日本の人口を抜くといわれています。
      トルコ統計局によれば、2013年の総人口7,666万人に対して15~64歳までの労働年齢人口は、全体の67.7%となっています。また、人口の約2割に当たる1,416万人がイスタンブールにおり、都市への人口集中度が高いことも特徴のひとつです。
      国民を構成する民族はトルコ系が約80%と多数で、約14%の推定850万人がクルド系住民といわれています。クルド人に対してトルコへの同化政策がとられてきたことから、人権問題が国際的に非難されて、同化政策は緩和されたといわれています。
      その他、アラブ系、ギリシャ系、アルメニア系、ユダヤ系などの住民もいます。
       
      【トルコの人口ピラミッド(2014年)】
       
      ■言語➡トルコ語(公用語)
      公用語はトルコ語(ウラル・アルタイ語系)です。旧来はアラビア文字を使っていましたが、共和制になったのち1928年にラテン・アルファベット表記に変更されました。
      その一方で、同化政策により使用が制限されていたクルド語(インド・ヨーロッパ語系)を話す人も少なくなく、制限が緩和された現在ではクルド語によるテレビ放送もあります。
      また、英語はビジネスでは使用されていますが、日常生活ではほとんど使用されていません。

      ■通貨➡トルコ・リラ(TL)
      使用通貨はトルコ・リラ(TL:Türklirası)で、補助単位はクルシュ(Kr:Kuruş)。1TLが100Kr。
      紙幣は200TL、100TL、50TL、20TL、10TL、5TLがあり、硬貨は1TL、50Kr、25Kr、10Kr、5Kr、1Krがあります。
       
      ■宗教
      トルコは、国民の大多数がイスラム教(スンニ派、アレヴィー派)というイスラム圏ですが、ギリシャ正教、アルメニア正教、ユダヤ教などイスラム以外の信仰の自由も保障されています。1923年の共和制移行とともに、明確に政教分離を打ち出した世俗国家です。
      しかし、2002年にイスラム系政党による単独政権が生まれ、2007年8月には建国以来はじめてのイスラム系大統領が誕生しました。イスラムの伝統を尊重しようという宗教色が強まっており、今後どのようになっていくか注目されています。

      ■政治体制
      [政治体制]
      共和制
       
      [元首]
      レジェップ・タイップ・エルドアン大統領(公正発展党:AKP)
      (2014年8月就任任期5年)
       
      [議会]
      トルコ大国民議会
      (一院制550議席任期4年複数政党制)
        
      [政府]
      首相:アフメット・ダーヴトオール(公正発展党:AKP)外相:メヴリュット・チャヴシュオール(公正発展党:AKP)
       
      トルコ共和国の政治体制は、議院内閣制をとる共和制です。立法府は一院制のトルコ大国民議会、行政府は大統領を国家元首とする内閣、司法府は司法裁判所、刑事裁判所、および高等司訴院、憲法裁判所で構成されおり、三権分立を旨とします。
      トルコ大国民議会は一院制で強い権限を持っています。国家元首は国民投票により選出される大統領が務め、大統領が首相を指名しますが、その際に議会の承認を必要とします。そのため、首相により強い権限がある議院内閣制がとられているといえるでしょう。
      従来までの大統領は、権限はあるものの、儀礼的存在と捉えられていました。しかし2014年8月に初の国民直接投票による大統領選挙が行われ、イスラム系政党であるAKP出身のレジェップ・タイップ・エルドアン元首相が勝利したことから大統領の存在が変わりつつあります。それは今回から大統領が直接国民に選出されたこと、またエルドアン大統領自身も大統領に属するすべての権限を行使することを表明していることからもうかがえます。
      なお、首相には大統領と同政党のアフメット・ダーヴトオール元外相が指名され、ダーヴトオール内閣が発足しました。大統領、首相が所属するAKPは2002年より政権を担ってきましたが、2015年に総選挙を控えています。同政権は現在まで国内改革、安定した経済運営を行い、高い経済成長を実現しています。
      トルコはイスラム圏で唯一のNATO加盟国で、親欧米路線を歩み、1987年よりEU加盟を申請し現在も交渉の途にあります。同時に、中央アジア諸国、イスラム圏との交流も重視しています。こうした独自のスタンスの背景には、イスラム圏にありながら堅持してきた世俗主義と議会制民主主義があります。一方では、世俗主義の守護者を標榜する軍部によるクーデターが一度ならず起きてきたことも事実です。
      こうした独自のスタンスと高い経済成長を背景として、国際的にも影響力を強めつつあるトルコ政府の、今後の内政外交の舵取りが注視されるところです。


      ■歴史(略史)
      [オスマン帝国の隆盛]
      1299年、オスマン1世によりオスマン帝国が建国されます。その後、北アフリカ、東ヨーロッパ、西アジア方面に支配地を広げ、地中海の制海権を握ります。1520年に皇帝に即位したスレイマン1世の時代に最盛期を迎え、広大な領土内に多文化・多民族の共存する巨大な帝国となりました。20世紀に滅亡するまで、600年以上もの長きにわたり存続していくことになります。

      [第一次世界大戦の敗戦と「トルコ革命」]
      第一次世界大戦で連合国に敗れたオスマン帝国は、パリ講和会議で大幅な国土分割を余儀なくされ、首都イスタンブールを国際管理下に置かれることになり、事実上の滅亡を迎えます。
      それに対し、1920年にアンカラで大国民議会が開かれ、第一次世界大戦で活躍した軍人ムスタファ・ケマルを指導者として、「トルコ革命」と呼ばれる祖国回復運動が展開されました。その結果、1923年に新たにローザン㋦条約が結ばれ国境が定まり、同年10月にアンカラを首都としてトルコ共和国が樹立されました。

      [ケマル・アタテュルクによる近代化]
      独立の立役者であるムスタファ・ケマルは、アタテュルク(建国の父)の尊姓を手にし、初代大統領に選ばれました。アタテュルクはイスラム世界としては初の共和制を取り入れました。現在まで続く、共和主義、世俗主義、法治国家、社会国家という4つの原則を明記した憲法のもとに国家運営がなされる礎は、このときに生まれました。
      また、トルコ語表記のローマ字採用や女性参政権などの近代化政策が矢継ぎ早に断行されました。
       
      [第二次世界大戦の終了と冷戦]
      第二次世界大戦でトルコは中立的な立場をとっていましたが、終戦間際に対ドイツ、対日本への宣戦布告をして連合国側につきました。戦後は、1952年に北大西洋条約機構(NATO)に加盟、東西冷戦時においては西側陣営として対ソ最前線基地を提供することとなります。

      [キプロス侵攻]
      ギリシャ系、トルコ系住民が暮らすキプロスで、1974年にギリシャの軍事政権の支援を受けたクーデターが起きました。それに対抗する形で同年トルコ軍が侵攻・常駐し、南部ギリシャ系地域と北部トルコ系地域とに分断される形となりました。その後、和解・統合交渉が何度も行われてきましたが不調に終わり、「キプロス問題」として、隣国ギリシャとの対立だけでなくEU加盟への障害にもなっています。

      [2度の軍事クーデター]
      トルコ軍は憲法上では文民統制されていることになっていますが、実際には1960年と1980年に軍事クーデターが起きています。長期にわたる経済停滞による政治の混乱や、政教分離の危機などがその理由とされています。

      [EU加盟への道]
      トルコは1987年にEU加盟申請を行い、1999年加盟候補国として承認されました。2005年から加盟交渉はスタートしましたが、交渉分野は35に及び厳しい条件が付されています。クルド人に対する人権抑圧、キプロス問題、政治・金融不安の問題、さらにはイスラムへの脅威などから、加盟に強く反対する国もあり、加盟実現へのハードルは高いというのが現状です。

      [多角的外交と「エネルギー回廊戦略」]
      2002年に政権与党となった公正発展党(AKP)が掲げた「ゼロ・プロブレム外交」を実践すべく、近隣諸国との関係改善を図るとともに、欧州とアジアを結ぶ地政学的かつ歴史的特徴をいかした独自の多角的外交を行っています。
      長い間対立関係にあった隣国アルメニアとの国交樹立への合意、キプロス問題を抱えるギリシャとの関係改善、最大の貿易相手国であるロシアとのエネルギー戦略関係の強化、トルコ系民族の多い中央アジアやコーカサスの国々との関係構築などさまざまな展開を見せています。
      また、トルコ国内にはロシアや中央アジア、中東地域と欧州などを結ぶ石油・天然ガスのパイプラインが縦横に敷かれ、外交上の重要なポジション確保と大きな経済効果を得ています。

      ■教育システム
      トルコでは全国民のおよそ4分の1が14歳以下であり、教育を国家の重要施策としています。公的教育制度とさまざまな私立学校があり、公的教育機関はすべて国立で大学以前の授業料は原則として無料です。
      初等教育である小学校5年間、中学校3年間の計8年間(6~14歳)が義務教育です。高校が4年間で、普通教育、職業・技術訓練教育などに分かれます。大学は4年(一部学部を除く)、修士課程2年、博士課程3年となっています。2年制の短期大学もあります。
       
       

      ■教育水準
      1996年に75.8%だったトルコの就学率は1998年には85.6%、
      2003年には96.3%まで上昇しています(2004年世界銀行)。これはトルコ政府がEU加盟を目指し、教育に力を入れているからです。トルコ政府は1990年代後半から本格的な教育改革を始め、それまで足りていなかった学校の建設、教員の採用などを国際機関の援助を受けて行いました。

      ほとんどの国立の学校には体育館やプール、図書館などの教育施設が整っていないのが現状です。また、地域によっては教員や教室の不足から、学校が午前と午後の2部制となっているところもあります。就学率がある程度上がってきた現在、トルコ政府は世界銀行の支援を受け、中等教育(日本の高校に相当)の改革に力を入れています。なお、2009年のトルコの識字率は88.7%(国連、人間開発報告書)となっています。私立学校はイスタンブールなどの大都市にあり、学費は高額であるといわれています。高所得者の家庭では高等教育を求めて海外へ移住することもあります。また、学習塾の人気が近年とても高まっており、教育は一大産業となっています。しかし、大学進学率は全国的平均では33.6%(2010年)と低く、所得格差や都市部と地方の格差などの課題もあり、教育制度改革が進められているところです。

      [就学率]
      初等教育の就学率は96.3%(2006年7月国家教育省)となっています。トルコ国内のほとんどの地域で90%以上となっていますが、南東部などの宗教上保守的な地域では、女子の就学率は60%程度となっているところもあります。
      中等教育の就学率は86.6%(2006年7月国家教育省)となっています。一方、高等教育の就学率は34.5%(2005年6月国家教育省)となっており、前述の初等教育、中等教育と比べると低い数字といえます。これは、近年のトルコ政府の取組により、教育水準は上がってきてはいるものの、EU諸国など他の先進国と比べるとまだトルコの教育水準は低く、大きな成長の可能性があるともいえます。