メキシコ

1 章 基礎知識

    • 基礎知識

      ■ 正式国名 ➡ メキシコ合衆国
      スペイン語名:Estados Unidos Mexicanos、略称 México(メヒ コ)
      英語名:United Mexican States、略称 Mexico(メキシコ)
      国名の México は、アステカの守護神であるウィツィロポチトリの 別名で、神に選ばれし者を意味する「メシトリ」に、場所を表す接尾 語「コ」がついたものを由来とします。「メキシコ」は México を英 語読みしたものです。

      ■ 国旗

       
      緑白赤の三色旗で、緑は独立・希望、白はカトリック・宗教的純白さ、赤が民族の統一を象徴しているとされています。中央に描かれているのは国章で、アステカ神話に由来する「湖のなかほどにある岩に生えたサボテンの上で蛇をくわえている鷲」です。その昔、メキシコの初代の王は、占い師から鷲が蛇をくわえている場所に建国をすれば国が豊かに発展するだろうと予言を受けました。王はその言葉を頼りに各地を放浪し、湖にある岩に生えたサボテンの上で鷲が蛇をくわえているところにたどりついたそうです。王はそこに建国することを決め、その後長きにわたる一大水上都市を築くのです。このようにして、メキシコは陸地ではなく、湖の上に建国されたと言い伝えられています。
       
      ■面積・国土➡約196万㎢(日本の約5倍)
       
      北米大陸の南部に位置し、北はアメリカ合衆国、南はグアテマラ・ベリーズと国境を接しています。西は太平洋、東はメキシコ湾、南はカリブ海に面しており、約9,330kmに及ぶ海岸線を有します。
      国土全体に高原が多く、平均の標高は北部で1,000m程度、中部では2,000m程度あり、5,000mを超える山もあります。河川はリオ・グランデ川が最長で、3,034kmにも及び、そのうちの約2,100kmがアメリカ合衆国との国境となっています。
       
      ■首都➡D.F.
      スペイン語名:DistritoFederal英語名:DistrictFederal
      首都D.F.は、人口900万人を超す政治経済の中心地で、メキシコ第一の都市です。
      多くの日本人は、メキシコ・シティをメキシコの首都と認識していますが、厳密にはD.F.が首都となり、メキシコ・シティは首都のD.F.を含んだ都市の名前となります。
      メキシコ・シティ(LaCiudaddeMéxico)は人口が2,000万人を超え、ブラジルのサンパウロなどとともにラテンアメリカの中心をなすメガシティの1つです。D.F.の行政区分は、その名のとおり、どの州にも属さない連邦区となっています。
      メキシコ・シティは、四方を山に囲まれた盆地にあります。もともとは、テスココ湖という湖があった場所で、16世紀以降にスペイン人によって行われた干拓で現在のような都市になりました。盆地といっても標高約2,240mに位置するため、気圧に順応できずに軽度の高山病になる旅行者もいます。睡眠障害、頭痛、食欲不振などさまざまな症状が出る可能性があります。実際に住んでみると、睡眠障害に悩まされている駐在員も少なくありません。
      また、盆地状の地形を一因として大気汚染が深刻な問題となっていましたが、近年はディーゼル車規制などの成果が出て改善の方向に向かっているといわれています。
      とはいえ、日本人からしてみると、まだまだよい環境とはいえず、鼻や気管支の調子が悪くなる駐在員も少なくありません。
       
      ■気候
      メキシコの国土は、広大で南北に長く、太平洋とメキシコ湾に挟まれた位置にあり、高い山々もそびえています。そのため、気候は実にバラエティに富んでいます。北西部の半島であるバハ・カリフォルニア一帯の砂漠気候、南部のユカタン半島周辺の熱帯性気候、山岳地帯の温帯気候や高山気候、北東部のアメリカ・テキサス州に隣接する一帯のステップ気候などです。
      首都のD.F.は標高が高いため、緯度が低いにもかかわらず、最高気温が年間を通して25度前後と過ごしやすい気候です。ただし、下記のグラフでもわかるように、年間の最低気温は15度を超えることがありません。日中と夜の寒暖差が激しいことが特徴の1つで、夏でも夜は涼しく羽織るものが必要になるときもありますし、10月あたりからは冷え込み、11月から2月は最低気温が5℃くらいまで下がることがあります。メキシコは暑いイメージを持たれることが多いですが、時期によっては防寒対策が必要です。
      また、6月から9月は雨季となり、毎日夕方にスコールがあります。雨季のスコールは非常に激しく、電車はストップし、自動車は渋滞してしまいます。そのため雨季に活動する場合は、夕方以降の時間は読めないことが多いので、午前中から午後3時までを目途に考える必要があります。雨季であってもD.F.以外の都市であればそこまで渋滞はひどくはありませんが、自動車で地方都市からD.F.に帰る際には、通常の3倍以上の時間がかかることもあるので注意が必要です。
       
       
      時差 中部標準時(D.F.など)
      日本から-15時間(サマータイム  日本から-14時間)
      キシタイムゾは右の地図のように 3 つの時間帯に分か てい。アフォルニ州に隣接ていのバ・カフォルニの一部が太平洋標準時(PSTPacific Standard Time)で協定世界時(UTC)- 8、カリフォルニア湾に面 した海岸周辺がアメリカ山岳部標準時(MSTMountain Standard TimeUTC 7 時(CSTCentral Standard Time)で UTC 6 です。
      たがて日本 CST の時差 1 5 時間日本の正午は、D.F. カンクン、アカプルコでは前日の午後 9 時となります。
      た、4 月の 1 日曜か 1 0 月の最終日曜で全土でサ が導入日本タイム期間中 CST の時差 1 4 時間となります。
      時差の関係で日本への緊急の連絡 1 日遅れることなります。意 思決定機関を日本においている会社に関しては、情報の伝達経路を事 前に考える必要があります。
       
       メキシコのタイムゾーン】
       
       
      ■人口➡1億2,233万人(2013年国連)
      メキシコは1億人を超える人口を擁する中米最大の国です。合計特殊出生率が低下していることや若年層の移民としての流出が多いこともあり、10歳未満人口は相対的に減っており、人口増加率はこの数年1.1~1.2%で推移しています。それでも、10~19歳の人口が多く、メキシコ国家人口評議会(CONAPO:ConsejoNacionaldePoblación)は、今後も微増を続け、2050年には1億3,747万人になると予測しています。
      民族構成は、先住民であるインディヘナ(インディオ)と白人の混血であるメスティーソが約6割を占め、インディヘナが約3割、スペイン系などの白人が約1割となっています。

      【メキシコの人口ピラミッド(2014年)】
       人口の多くがメキシコ・シティに集まり、交通渋滞や朝晩の通勤ラッシュが問題となっています。メキシコ人の中には、通勤ラッシュで電車が遅れたことを言い訳とし、時間どおりに出社しない者もいますので、時間を守ることの意識徹底をどのように行うかも事前に考えておく必要があります。
        
      ■言語➡スペイン語
      メキシコは世界最大のスペイン語人口を抱える国です。スペイン語が公用語となっていますが、マヤ語やナワトル語などの先住民族の少数言語が60以上もあるといわれています。
      マネージャークラスの多くは英語を話すことができます。発音はスペイン語なまりのため少し聞き取りづらい印象です。スタッフクラスには英語を話せない者も多くおり、ワーカークラスのほとんどが英語を話せません。
      ビジネスは英語で行うことが可能(多くの日本企業がスペイン語と英語でビジネスを行う)ですが、日常生活にスペイン語は必須です。町で買い物をするにも、タクシーに乗るにも、レストランで食事をするにも、スペイン語でないと通じないことが多いので注意が必要です。
       
      ■通貨➡ペソ
      通貨単位はペソです。記号は$が用いられますが、USドルと区別するためにMex$やMXNと表記することもあります。補助単位はセンターボで、記号は¢を用います。100センターボが1ペソにあたります(1ペソ=約8円:2014年時点)。
      硬貨は10種類(20ペソ、50ペソ、100ペソの各硬貨はあまり流通していません)、紙幣は6種類あり、その内容は、下記のとおりです。
       
       
      [メキシコの各種相場]
      タクシー初乗り:約8ペソ、ラジオタクシー(無線タクシー)では13ペソ~
      メトロ:5ペソ(料金一律)昼食:50~150ペソ(D.F.)夕食:200~500ペソ(D.F.)
      家賃:1万5,000~3万ペソ(D.F.の日本人駐在員向け、広さ70㎡以上)ガソリン代:13ペソ/ℓ
      その他:通信機器、家電などの電化製品や車、バイクなどは日本の価格と変わらない
      チップ:支払金額の10~15%(タクシーには支払わなくてよい)
       
      ■宗教
      メキシコは、ブラジルについでカトリック人口の多い国です。カトリックが約85%、プロテスタントが約8%、その他の宗教が約3%となっています。メキシコでは、古くから存在した土着の文化や信仰に、スペイン侵略とともに流入したカトリックが融合するような形で人々に浸透してきた歴史があるため、教会美術や祭礼などは独特であるといわれています。
       
      【メキシコの宗教】
       
       
      ■ 政治体制
      [ 政治体制 ]
      立憲民主制による連邦共和国
       
      [ 元首 ]
      エンリケ・ペニャ・ニエト大統領(2 0 1 2 年 1 2 月 1 日就任、任期 6 年)
       
      [ 議会 ]
      二院制(上院 1 2 8 議席、下院 5 0 0 議席)
        
      [ 政府 ]
      首相や副大統領という役職はなく、大統領が大臣を指名します。
       
      【メキシコの立法・行政・司法】
       
       メキシコの政治体制は立憲民主制による連邦共和国で、憲法49条により、立法・行政・司法の三権分立が定められています。連邦議会、大統領、最高裁判所が、それぞれ立法、行政、司法の三権の最高権力を担っています。
       メキシコでは、1910年に始まった「メキシコ革命」以降はクーデターがなく、他のラテンアメリカ諸国にくらべて早い時期から政情が安定して、文民統制がとれてきたことが大きな特徴といえるでしょう。
       メキシコ人は、会社においても上下関係をあまり好みません。メキシコ人のある現地マネージャーはその理由に、「メキシコ人は、スペインに占領されてから支配の歴史を歩んできた。メキシコ人にとって上下関係とは搾取されることなのです」と言っていました。実際に上下関係の強い会社では、従業員のジョブホッピングが盛んに行われています。
       
      ■歴史(略史)
      [アステカ帝国の滅亡~スペイン植民地時代]
      1519年にスペイン人のエルナン・コルテス率いるスペイン軍がメキシコに上陸、アステカ帝国への侵略を開始しました。1521年にティノチティトラン(現在のメキシコ・シティ)が征服され、アステカ帝国は滅亡します。
      この後、約300年にわたりスペインの植民地となります。過酷な植民地支配とヨーロッパから持ち込まれた天然痘などの疫病によって、2,500万人いたインディオは一時100万人にまで激減したといわれています。一方、スペイン人と先住民であるインディヘナ(インディオ)の混血(メスティーソ)が進み、インディヘナの伝統や風俗とスペイン文化が融合した独特の混血文化が形成されました。
        
      [独立革命~レフォルマ(改革)時代]
      19世紀のメキシコは、「独立革命」(1810~1821年)、「アメリカ・メキシコ戦争」(1846~1848年)、「レフォルマ(改革)時代」(1854~1876年)の動乱期を経て近代化へと向かいます。この時代の変革は、支配階級であった植民地生まれのスペイン人クリオージョ)によるスペインからの独立、被支配階級であったメスティーソやインディヘナの蜂起と階級闘争、メキシコ領であったテキサスの分離独立といった、さまざまな対立や闘争を含む複雑なものでした。19世紀半ばには自由主義改革へと運動は収れんし、植民地体制は解体しました。1861年には、インディヘナ出身のベニート・フアレス大統領が誕生し、レフォルマ(改革)を推進して、殖産、教育振興などが積極的に行われました。しかし、対外債務支払停止により、債権者国であるフランスの軍に4年間占領されるなど、不安定な時代が続きます。
       
      [ディアス独裁政権~メキシコ革命]
      1876年、クーデターによって就任したポルフィリオ・ディアス大統領による独裁政権が始まり、25年近く続きました。メキシコ史上における初の長期安定政権であり、外資を積極的に受け入れて経済発展を遂げたものの、強権的な政治に各地で不満が高まりました。
      1910年、民主化を求める勢力が蜂起し、「メキシコ革命」が起きました。ディアス大統領は国外へ亡命し、革命、反革命勢力が主導権を奪い合う動乱期となります。やがて、革命勢力が労働者や農民を率いて勢力を拡大し、1917年に新憲法(現行憲法)が発布され革命は終結となりました。
       
      [制度的革命党(PRI)による一党独裁]
      革命後も、路線対立による政情不安が続いていましたが、鉄道や油田の国有化、農地改革などが行われるに従って政情は安定の方向へ向かいました。1929年には諸勢力が合流して国民革命党(PNR:Partido Nacional Revolucionario)が結成され、さらに1946年に制度的革命党(PRI:Partido Revolucionario Institucional)へと再編、事実上の一党独裁が始まり、その後2000年まで54年間にわたり続くことになります。
       
      [「メキシコの奇跡」の光と影]
      第2次世界大戦により長期政権として足場をかためたPRIは、革命路線を修正しつつ、豊富な石油資源を基に積極的に工業化を促進しました。1950年代~1970年代にかけて、他のラテンアメリカ諸国ではクーデターによる軍政が多かった中、文民統制による安定政権を実現し、多くの外資を呼び込むことができました。1940~70年代には「メキシコの奇跡」と呼ばれる目覚しい経済成長を遂げ、1968年にメキシコ・シティオリンピックが開催されました。
      一方、経済成長に伴い貧富の差が拡大したこと、政治腐敗や反政府勢力への弾圧などの負の側面も顕在化し、社会問題となりました。また、1970年代に、貿易赤字や財政の健全化が進まないことにより、累積債務が拡大しました。1980年代には、原油価格の下落とインフレにより経済はさらに危機的な局面を迎えます。
       
      [北米自由貿易協定(NAFTA)締結]
      1994年、アメリカ、カナダ、メキシコ3カ国による北米自由貿易協定(NAFTA:NorthAmericanFreeTradeAgreement)が発効されました。人件費が安いメキシコに多くの自動車や家電製品の工場が建設され、アメリカ市場への輸出が拡大し、多くの労働者が出稼ぎのため国外に出ずにメキシコ国内工場で働くことができるようになりました。その反面、トウモロコシなどの農産品で競争力に劣る零細な農家にとっては大きな打撃となり、農民が武装蜂起する事態にまで発展しました。
       
      [国民行動党政権の誕生とPRI政権の復活]
      2000年、大統領選挙で、経済の失策や政治の腐敗を問われてPRIの候補が敗北し、右派国民行動党(PAN:Partido Acción Nacional)のビセンテ・フォックス候補が当選し大統領となりました。PRIは71年におよぶ政権の座を降り、野党となりました。
      2006年の大統領選挙でも、PANのフェリペ・カルデロン候補が民主革命党(PRD:Partidodela Revolución Democrática)をはじめとする中道左派連合の候補に僅差で勝利しました。しかし、カルデロン大統領は抜本的な制度改革や麻薬対策などを公約にして当選しましたが、世界金融危機の影響による景気の悪化や、治安が良くならないことなどから、2009年の連邦下院議員選挙では与党PANが大きく議席を失い、PRIが再び第1党となりました。
      2012年の大統領選挙では、PRIのエンリケ・ペニャ・ニエト候補が勝利し、2012年12月1日に大統領に就任、12年ぶりのPRI政権となりました。
       
      ■教育システム
      メキシコの教育制度は、日本と同様に、小学校が6年、中学校が3年、高等学校が3年の「6・3・3制」で、義務教育は中学校までです。小学校が6~12歳、中学校は13~15歳、高等学校が16~18歳までというのも同じです。公立の小学校と中学校は就学率の向上のために、午前、昼間、夜間の3部制を採っているのが特徴の1つです。基本的にスペイン語での教育が行われますが、地域によりナワトル語やマヤ語などの少数民族との二重言語教育も行われています。
      メキシコでは小学校をPrimariaと称し、6歳から11歳の児童が教育の対象となっていて、2009年から義務教育のカリキュラムに組み込まれました。それ以前は、小学校に入学する前提条件としてプリスクールに最低1年間通学する必要がありました。メキシコには公立小学校と私立小学校に共通する標準カリキュラムがあり、国立教育評価研究所が教育水準をモニターし、教師陣による指導の質を管理しています。公立小学校では、(theyhavetripartitesystem,inthemorning,intheafternoon,andatnight,sothateveryonecangotoschool.)
      中等教育は2つのステージに分けられます。初めの3年間は中学校教育であり、12歳から14歳の生徒が対象になっており、必修です。州立の中学校に通学する生徒は、教育費が課せられることがありません。州立の中学校には、小学校と同じようにtripartiteシステムが導入されています。中学校教育を修了すると、多くの生徒が高校へと進学します。
      中等教育の後半の3年間はEducaciónMediaSuperiorと称され、15歳から17歳の生徒が教育の対象となっています。EducaciónMediaSuperiorの多くが、公立大学の付属学校になります。
      EducaciónMediaSuperiorは大きく2つに分けることができます。卒業後、学術機関に入学する生徒達は、大学進学準備専門学校で学びます。大学進学準備専門学校では、最初の2年で基礎科目を履修し、3年目に専門を深めます。
      卒業後、就労するための準備をする生徒達は、職業訓練学校に通います。職業訓練学校には様々なタイプの学校があり、様々なプログラムが開講されています。職業訓練学校でのコースを修了すると、専門技術者の称号が与えられ、登録する際に専門技術者としての資格が発行されます。
      メキシコの大学制度はアメリカの大学制度に近く、選択領域によって異なりますが、学士レベルのプログラムを修了のに2年から6年を要します。例えば、理工学大学において準学士号を取得するには2年間かかります。会計、経済、工学、法学、建築等の領域に関しては、多くの学生が5年間でプログラムを修了します。これらの学術機関を卒業後、1年から2年の修士課程プログラムに進む資格を得ます。博士課程に関しては、修士課程修了後、最低2年間研究に従事すると取得可能になります。
      また、大学においても教育レベルは、それぞれ全く違います。メキシコで一番有名な大学はメキシコ国立自治大学(UNAM:UniversidadNacionalAutónomadeMéxico)ですが、外国企業の理念やスタイルに合うのはメキシコ自治工科大学(ITAM:InstitutoTecnológicoAutónomodeMéxico)やモンテレイ工科大学(ITESM:InstitutoTecnológicoydeEstudiosSuperioresdeMonterrey)の卒業生などともいわれています。これはメキシコ国立自治大学の授業料が年間50センターボや5ペソなどの格安であることから同校の生徒数が10万人を超え、学業のレベルが一定水準であるためです。
       
      【メキシコの教育制度】