モロッコ
1 章 基礎知識
-
-
1 章 基礎知識
2 章 投資環境
-
-
-
基礎知識
■正式国名
モロッコ王国
英語表記: Kingdom of Morocco
アラビア語表記: المملكة المغربية
■国旗
深紅はモロッコ国民の祖と言われているマラウィー王家の伝統色、中央の五芒星はイスラムの預言者「スレイマンの印章」が聖なる色の緑で描かれています。1956年にフランス・スペインから独立したときに制定されました。
●面積・国土
約44.6万平方キロメートル(日本の約1.2倍)
アフリカ大陸の北西部に位置し、アルジェリア、チュニジアとともにマグレブ(アラビア語で西の果ての意味)地域に属します。西は大西洋に面し、北は地中海を挟んでスペインに対峙しています。地中海の入口部分にあたるジブラルタル海峡の最も狭い部分ではスペインまでわずか14㎞しかありません。また、東はアルジェリア、南はサハラ・アラブ民主共和国(西サハラ)と国境を接しています。西サハラはスペイン統治後の「西サハラ戦争」を経てモロッコが実効支配していますが、国際的には領有権が承認されているわけではなく、モロッコ最大の外交課題・領土問題とされています。
【モロッコの地図】
■首都
ラバト
英語表記 Rabat
アラビア語表記 الرباط al-ribāṭ
ラバトは「城壁都市」の意味で、12世紀にスペインに対する攻撃拠点として堅牢な城壁が作られたことにその名を由来しています。近代ではフランス植民地時代に都となり、独立後もそのまま首都となり現在に至ります。政治の中心として多くの行政機関や各国大使館が置かれています。市の人口は約57万人(2014年)ですが、隣接するサレやタメラなどをあわせた都市圏人口は約200万人に達し、カサブランカに次ぐモロッコ第2の都市圏です。
■気候
モロッコの気候は地域によって多様な様相を呈しますが、大西洋沿岸部に位置するカサブランカやラバト、地中海に面したタンジェなどは比較的温暖です。沿岸部の多くは北東貿易風の影響を受けた地中海気候帯に属しており、2~3月、6月~8月は非常に乾燥していますがそれ以外の季節には雨も降ります。内陸のマラケシュなどは、夏には40度を超える灼熱で、さらに内陸に行くと砂漠が広がります。また、モロッコを北東から南西に貫く標高3,000メートルを超えるアトラス山脈では積雪もあります。
【カサブランカの気候】
最低気温 (℃)
最高気温 (℃)
降水量(㎜)
1月
7.2
17.1
40.1
2月
10.5
18.8
0.0
3月
12.0
21.3
0.0
4月
12.6
19.7
43.7
5月
16.0
22.2
14.4
6月
18.6
24.4
0.0
7月
20.1
26.2
0.0
8月
21.2
26.7
0.7
9月
19.3
25.5
9.7
10月
15.1
22.1
67.4
11月
11.5
19.8
18.2
12月
10.9
19.7
105.7
出所 :World Meteorological Organization
【マラケシュの気候】
最低気温 (℃)
最高気温 (℃)
降水量(㎜)
1月
5.2
17.4
16.2
2月
8.7
24.9
0.0
3月
12.1
26.3
0.0
4月
10.8
23.5
29.4
5月
14.7
28.2
15.5
6月
19.1
36.4
0.1
7月
20.1
37.9
0.0
8月
21.3
36.9
0.0
9月
18.7
32.9
7.0
10月
13.4
26.0
12.3
11月
9.7
22.4
6.8
12月
8.4
20.7
33.4
出所:World Meteorological Organization
■時差
‐9時間(UTC +1) サマータイム:-8時間
日本時間マイナス9時間がモロッコ時間です。例えば、日本時間の正午は、モロッコでは午前3時、日本時間の午後9時がモロッコの正午にあたります。しかし、サマータイムが導入されており、例年は3月下旬~10月下旬と期間が長く、時差が-8時間となります。ただし、ラマダン(イスラム教の断食)期間中は適応されないので注意が必要です。
■人口
3,392万人(2014年 世界銀行)
モロッコの人口は3,392万人で、21世紀にはいってからの人口増加率は1.4%(世界銀行)前後で安定しています。爆発的な人口増加が続くサブサハラの低所得国に多い「多産多死」の状況とは明らかに異なり、合計特殊出生率は2.7(世界銀行)と相対的に低く、平均寿命が71歳(2013年 WHO)と高いのが特徴です。年齢層は、14歳以下が27.2%、15歳~59歳が63.1%、60歳以上が10.7%(国連推計 2015年)となっており、若年~壮年の生産年齢人口比率が高く、人口ボーナス期を迎えていると言えます。
【モロッコの人口ピラミッド(2015年)】
出所:United States Census Bureau
■言語
公用語:アラビア語、ベルベル語 準公用語:フランス語
モロッコの主要民族はアラブ人とベルベル人です。おおよそ2対1程度の人口比率と言われていますが、混血が進んでいるうえに民族統計ないため正確な数値は不明です。公用語は従来はアラビア語のみでしたが、「アラブの春」による民主化要請を受けて改正された新憲法により、2011年にベルベル語も公用語になりました。また、モロッコでは旧宗主国であるフランスの影響が現在も色濃く残っており、第二言語はフランス語です。ビジネスシーン、高等教育、メディアでもフランス語が使われることが多く、準公用語としての位置づけにあると言っていいでしょう。
■宗教
国民の大多数がイスラム教スンニ派です。イスラム教が国教と定められていますが、信仰の自由は憲法で保障されおり、キリスト教やユダヤ教も認められています。国王は国家元首でかつ宗教的指導者の立場にあるため、政教分離されていません。しかし、一般的に宗教規範の多様性に寛容で、世俗的な志向が強い傾向にあると言われています。2011年の議会選挙で勝利し与党となった「公正発展党(PJD)」は穏健なイスラム政党で、党綱領ではイスラム法に基づく国家建設を謳っておらず、世俗的な姿勢を明確にしています。
■通貨
ディルハム(略:DH) 1ディルハム=12.3円(2015年10月7日現在)
通貨単位はディルハム(DH)で、補助通貨単位としてサンチーム(C)がある。100Cが1DHにあたる。硬貨は8種類(1C、5C、10C、20C、50C、1DH、5DH、10DH)、紙幣は5種類(10DH、20DH、50DH、100DH、200DH)。
【ディルハム/日本円のチャート】
出所:OANDA
■政治体制
[政治体制] 立憲君主制
[元首] モハメッド6世国王(政教及び三軍の長)
[政府] 首相:アブドゥリラ・ベンキラン(2011年~)
外相:サラフッディン・メズアール(2013年~)
[国会] 二院制
衆議院: 395議席で任期5年
参議院: 90~120議席で任期6年(2015年9月より)
1999年に即位した国王モハメッド6世は、立憲君主制(王政)を堅持しつつ複数政党制を認め、自由主義経済の推進や人権の尊重を重視するリベラルな立場をとっています。立憲君主制をとるアラブ諸国の中では、国会と憲法を有する数少ない国の1つです。
2011年7月に、「アラブの春」を受けて国王権限の縮小と首相権限の強化を盛り込んだ憲法改正が迅速に行われました。従来は国王が首相を任命していましたが、改正後は政権与党から選出されるようになりました。
■歴史
[ イスラム教の到来と王家の統治 ] (7世紀~19世紀)
7世紀にアラブ人による侵略が始まり、モロッコにイスラム教がもたらされました。8世紀にはイスラム教徒による王朝(イドリシード朝)が勃興し、その後の4王朝(アルモラヴィド朝、アルモハー朝ド、メリニード朝、サーデイン朝)を経て、17世紀に現モロッコ王家であるアラウィー朝となります。
[ 帝国主義と欧州列強の干渉 ] (19世紀~20世紀前半)
19世紀になると欧州列強のアフリカ大陸への干渉が激しくなり、アラウィ―朝モロッコは「スペイン・モロッコ戦争」(1859年)での敗北、イギリス、スペイン、フランスとの不平等条約締結などによって弱体化していきます。英仏協商(1904年)を経て、フェス条約(1912年)」より国土の大半がフランス領、仏西条約(1912年)によって北部リーフ地方がスペイン領、1923年にはタンジェ(タンジール)が国際管理都市となり、モロッコは3分割され統治されるようになりました。
[ モロッコの独立 ] (1956年)
第二次世界大戦後の世界的に民族独立の潮流のなか、モロッコは1956年にフランスから独立を遂げました。1956年~1957年にかけてスペイン領も一部飛び地を除いて復帰、タンジェもモロッコに帰属を果たしました。ムハンマド5世はスルタンの称号を王位と改め、国名はモロッコ王国(Kingdom of Morocco)となりました。
[ ハサン2世時代 ] (1961年~1999年)
1961年にムハンマド5世が死去し、ハサン皇太子が国王に即位しました。1962年に憲法が制定され、国王の権限が強い立憲君主制国家となりました。ハサン2世は、アメリカや西欧などの西側諸国との関係を重視して経済振興を図る一方、パレスチナ問題ではアラブ側を支持するなど、欧米とアラブ世界のバランスを取る穏健な立場をとりました。国内的には強権的な手法に対する不満が高まり、1970年代には2度の暗殺未遂とクーデター未遂があり、不安定さを増しました。
[ 西サハラ併合 『緑の大行進』 ] (1976年)
第二次大戦後も西サハラではスペインの領有が続いていましたが、モロッコとモーリタニアの両国が領有権を主張します。1976年にモロッコ政府の主導で35万人のモロッコ市民が非武装で越境する「緑の大行進」が行われます。これに対して、サハラ・アラブ民主共和国の独立を目指すポリサリオ戦線がアルジェリアの支援を受けゲリラ戦を展開。モーリタニアは領有権を放棄しましたが、モロッコは実行支配を続けます。1991年に停戦が合意し、国連安全保障理事会の決議に基づき、独立か帰属かは西サハラ住民による住民投票にゆだねられることになりました。しかし、実施には至らず未解決の課題となっています。
[ モハメッド6世による統治 ] (1999年~)
ハサン2世の死去にともない、1999年に国王モハメッド6世が即位しました。立憲君主制を維持しながらも、法治主義や複数政党制を認め、自由主義経済や人権を尊重する西欧に近い方向性を打ち出しました。2004年には、家族法が改正され女性の地位向上が図られ、2005年には「国家人間開発イニシアティブ(INDH)」が始まり、貧困の解消や格差の是正などの取り組みが積極的に行われるようになりました。
[ 『アラブの春』と民主化 ] (2010年~2011年)
2010年にチュニジアで始まった民主化運動「アラブの春」は、モロッコにも波及しました。王政廃止を訴える急進派から王権縮小による改革を支持する穏健派まで、両派が主張を強め、2011年には「2月20 日運動」と呼ばれる1 万人規模のデモが主要都市で起きました。この状況に対して、2011年3月にモハメッド6世は、国王の権限縮小、首相と国会の権限強化、三権分立などを盛り込んだ憲法改正案を示しました。同年7月に国民投票を行われ憲法改正案が可決。11月には改正憲法の下、衆議院(下院)議員選挙が行われ、首相権限の強いあらたなベンキラン内閣が発足しました。急進的な改革によりアラブ各国が混乱する中で、モロッコは穏健なプロセスを経て民主化がなされ、政情や経済は安定を維持しました。
■教育制度
モロッコの教育制度は6・3・3・制をとっており、小学校が6年間(6歳~12歳)、中学校が3年間(12歳~15歳)、高校が3年間(15歳~19歳)となっています。小学校と中学校を基礎教育課程と位置付け、義務教育ではなく権利教育とされており、公立校は無償です。公立小学校の授業は基本的にはアラビア語で行われますが、低学年からフランス語の授業が必ずあり、中学校では英語の授業もあります。都市部には私立学校も多数あります。
モロッコ政府は1990年代より教育改革を重要課題として、識字率の向上や教育アクセスの改善などに取り組んできました。15歳以上の識字率は32.2%(1982年)から67.1%(2011年)に大きく向上しましたが、男女差は大きく、男性76.1%(2011年)に対して、女性は57.6%(2011年)と約2割下回ります。就学率は、小学校は71%(1999年)から96.6%(2011年)、中学校は37%(2005年)から53.9%(2011年)に向上していますが、都市部の約半分ほどしかない地方の就学率の低さとやはり男女差が課題とされています。2005年には、貧困と格差の解消を目指した国家プロジェクトとして「国家人間開発イニシアティブ(INDH)」が始まっており、今後のさらなる教育アクセス改善と格差の是正が期待されています。
【モロッコの教育制度】
出所:UNESCO
-