ミャンマー

1 章 基礎知識

    • 基礎知識

      ■ 正式国名 ➡ ミャンマー連邦共和国
      英語名:Republic of the Union of Myanmarミャンマー語名:
       
      ■ 国旗
      ミャンマーの国旗は、軍事政権によって2010年10月21日に新しいデザインに変更されました。上から黄色、緑、赤の順で引かれた三色の帯上に、大きな白星が描かれています。三色の帯の黄色は「平和と平穏」、緑は「団結や調和」、赤は「愛」を表し、白い一ツ星は、「国家の統一」を象徴しています。
       
       
      ■ 面積・国士➡ 68万㎢(日本の約1.8倍)
      東南アジアのインドシナ半島に位置し、中国・タイ・ラオス・インド・バングラデシュと国境を接し、海側はマルタバン湾・ベンガル湾・インド洋と面しています。
      インドシナ半島で最大の面積を持ち、国士面積は日本の約1.8倍にもなります。
      行政区分は国道中央に7つの管区があり、その周辺を囲むように7つの州があります。7つの管区には人口の約7 0%を占めるビルマ族が住み、7つの州には少数民族が暮らしています。それぞれの州の名前はその州に住んでいる民族の名前に由来しており、たとえば「シャン族」が多く住んでいる州は「シャン州」となっています。
       
       
      ■ 首都 ➡ ネピドー(英語名:Nay Pyi Taw)
      ネピドーはミャンマー語で「王都」、「首都」を意味します。ネピドーの人口は92万4,608人(2011年2月現在/ASEAN TELMIN政府機関)であり、実際の経済的中心地であるヤンゴンに人口が集中しています。首都圏面積は約7,000㎢となっています。
      ネピドーは2006年にジャングルを切り開いて開拓した首都です。遷都したばかりで、首都としては新しく、道も広く整備されています。行政庁舎が集まる行政地区は政府の許可がなければ立ち入ることができませんが、商業地区などその他の場所は、外国人観光客でも訪れることができます。
      今までは、携帯電話やインターネットが繋がらないという問題もありましたが、近年では設備投資が増えて現代的な街になっています。ショッピングモール等も建設され、日本や外国の商品が多く並んでいます。
       
      ■ 年号 ➡ 仏暦
      ミャンマーは仏暦を使用しています。西暦に544年を加えると仏暦になります(仏暦2544年= 西暦2000年= 平成12年)。
      釈迦の入滅を基準とした仏暦を用いており、ミャンマーの他ではスリランカで使われていますが、タイ、ラオス、カンボジアで使用されている仏暦とは一年のズレがあります(タイの仏暦2543年= ミャンマーの仏暦2544年= 西暦2000年)。
       
      ■ 気候 ➡ 熱帯性気候
      ミャンマーは全体的に熱帯性気候で、暑期(2月~ 4月)、雨期(5月~ 10月)、乾期(11月~ 1月)の3シーズンに分かれます。国土が南北に長く、場所によって気候差が大きいのが特徴です。年間を通じて高温多湿のため種々の感染症が発生しやすいといわれています。
       
       
      ■ 時差 ➡ -2時間30分
      日本との時差は2時間3 0分で、日本が正午のとき、ミャンマーは午前9時30分です。サマータイムの導入は行われていません。
       
      ■ 人口 ➡ 約5141万人(2014年)
      国民の6割以上はビルマ族で、主に管区に暮らしています。その他、ミャンマーには100以上の民族が暮らしており、シャン族、カレン族、ラカイン族等が主な民族となっています。
       
      ■ 言語 ➡ ミャンマー語
      ミャンマーの公用語はミャンマー語(ビルマ語)です。ミャンマー語には独自の文字があり、モン族が使っていた文字が、11世紀後半にミャンマー語に使われるようになりました。英国の植民地であったこともあり、初等教育から英語が必須科目で、隣国と比べると比較的英語が通じやすいという特徴があります。
       
      ■ 通貨 ➡ チャット
      通貨はチャット(Kyat)で、国際通貨コードはMMKです。補助通貨としてピャー(Pya)(100ピャー= 1チャット)がありましたが、インフレにより現在はほとんど使われていません。
      紙幣は1、5、10、15、20、25、45、50、90、100、200、500、1,000、5,000、10,000がありますが、90以下の紙幣は現在ほとんど使われていません。10,000チャット札は2012年6月に新しく発行されました。
      2016年5月6日付けの為替レートでは、1円= 0.0917チャットです。
       
      ■ 宗教 ➡ 上座部仏教
      ミャンマーの国民の多くはタイやカンボジアと同じく上座部仏教を信仰しています。国民の約90%は仏教徒であり、その他、キリスト教4%、イスラム教4%、精霊崇拝1%、その他(ヒンドゥー教など)1%と続きます。
      仏教は紀元前3世紀頃、モン族に伝えられたのが始まりといわれ、その後10 ~ 11世紀頃にパガン王朝の興陵とともに全土に普及しました。パガン王朝時代には国王や王族の手によって仏塔(パゴダ)や寺院の建立がさかんに行われ、現在でも2,000を超す仏塔や寺院を見ることができます。
      また、ミャンマーの人々の間には仏教が渡来する前から精霊(ナット)信仰が深く根付いていて、仏教と習合しています。
       
      ■ ミャンマーの主な歴史
      ミャンマーの歴史は諸部族割拠時代を経て、11世紀半ば頃に最初のビルマ族による統一王朝(パガン王朝1044 ~ 1287年)が成立しました。その後タウングー王朝、コンバウン王朝等を経て、1885年に英領インドに編入されます。第二次世界大戦後の1948年に独立を果たしました。2011年までは軍事政権でしたが、2011年3月から大統領制に移行し、社会主義から民主主義に変わる大きな歴史的変化が起こっています。
       
      ■ 政治体制 ➡ 大統領制、共和制
      [元首]
      ティン・チョー大統領(2016年3月就任・任期5年)
       
      [行政組織]
      2011年1月施行の新憲法により、行政組織も大きく変わることになり、軍事政権下の最高意思決定機関であった国家平和発展評議会は、2011年4月に解体され、テイン・セイン大統領を中心とする新政府に権限が委譲されました。しかし、新政府の11名のうち、少数民族シャン族出身のサイマウカン氏以外は、全員が元軍人であり、引続き軍人中心の運営が実質的に行われていました。2015年の総選挙では、アウン・サン・スー・チー氏率いる、国民民主連盟(NLD)が圧勝し、NLDへ政権が移動となりました。
      テイン・セイン首相を首班とする旧内閣は、ディーゼル輸入販売の自由化、ガソリンスタンドの民営化、トラック・バスなどの商業車の輸入手続の簡素化、二輪車の輸入解禁などの市場自由化や、政治犯の相次ぐ釈放など、改革への本気度を諸外国に向けてアピールしていました。実際に、経済特区でもあるティラワ工業団地の開業なども成し遂げました。
      NLDに政権移動となり、これからは、党首アウン・サン・スー・チー率いるNLDが民主化を進めていく事が期待されています。
       
      [国会]
      大統領制に変わって以降、二院制の連邦議会が創設され、連邦議会は上院と下院の2つで構成されます。両院とも議員の任期は5年で、議席数は上院が224議席、下院が440議席です。各議院の議席のうち、4分の1は国軍司令官による指名枠となっており、残りの4分の3は国民による直接選挙で選出されることになりました。
      2 0 1 2 年 1 月には、アウン・サン・スー・チー氏が率いる国民民主 連盟(NLD:National League for Democracy)の政党登録が認め られ、国政への参加が可能となりました。2012年4月に行われた選挙では、45議席中43議席をNLDが占め、民主化が進んでいることがわかります。
      2015年11月には民主化後初の総選挙が行われました。選挙前の2015年8月には、与党内で突然の党首解任が行われるなど、様々な動きが報道されました。
       
       
      ■ 教育制度
      ミャンマーの学校教育制度は、基礎教育と高等教育から成ります。基礎教育は、小学校5年間、中学校4年間、高等学校2年間及び各種職業学校があります。高等教育には短期大学、大学があります。学校は6月から始まるため、6月初めまでに満5歳になる場合、小学校第1学年に入学します。政府は1980年代から初等教育の充実に力を入れており、小学校の開設も増えています。その結果、小学校の就学率は1999年度の91%から、2004年度には96.5%に上昇しました。2001年度からは、1年生から11年生までの進級、及び11年生修了について、各教科の単元もしくは章末テストにより児童生徒の学力を評価する「学力継続評価制度」を実施しています。
       
      ■ 政治・経済動向
      軍事政権からの民政化が行われ、ミャンマーは歴史的な大転換点を迎えています。テイン・セイン大統領は、アウン・サン・スー・チー氏等の政治犯の解放を積極的に進めて民主化を強調しつつ、経済面では、外国資本の誘致による工業化推進の方針を示し、既に種々の開放政策を打ち出しています。外交面では、2010年4月、ミャンマー政府とインドのタタ・モーターズとの間で大型トラックを共同生産することが合意されました。その他にも、ベトナムのズン首相がミャンマーを公式訪問し、ミャンマー、ベトナムの両国において投資拡大などに合意し、経済・産業などの幅広い分野で国際間の連携強化を図っています。
      2 0 1 1 年には特別経済区法が整備され、5 カ所がその指定を受けました。工業団地の建設、それに伴う港湾の整備建設、石油・天然ガス の輸送パイプライン延長、道路・鉄道の拡張など、大型の投資が呼び 込まれていくことが期待され、特に貿易上関係の深いタイ・中国・韓 国・インドなどからの大型投資が認可されつつあります。
      2 0 1 2 年に入り、 ミャンマー政府は 5 月 1 3 日、 服役中の政治犯6 5 4 人を一斉に釈放しました。これを受け、クリントン米国務長官 は同年の 5 月 1 7 日、米国を初めて公式訪問したミャンマーのワナマ ウンルウィン外相との会談後の共同記者会見で、米企業の対ミャンマー新規投資を禁止してきた経済制裁を「停止」する方針を表明しました※。また、EU(欧州連合)も、4 月 2 3 日に、武器の禁輸を除く経済制裁を  1  年間停止することを発表しました。
      その後、ミャンマーの政治・経済改革を欧米諸国が評価し、アメリカは2012年11月に宝石一部品目を除くミャンマー製品の禁輸措置を、EUは2013年4月に武器禁輸措置を除く経済制裁をそれぞれ解除しました。
       
      ※ 2012年7月11日、米国大統領令が発令され、米国の企業、個人による対ミャンマー新 規投資が正式に解禁された
       
      ■ 日・ミャンマー関係
      日本とミャンマーは、1954年11月の平和条約締結以来、友好的な関係を築いてきました。ミャンマーの反民主化の動きに対応し、人道的な理由かつ緊急性がない援助は、2003年から停止されていました。しかし、2012年4月に行われた「日本・ミャンマー首脳会議」において、ミャンマーに対する過去のODAの返済免除や、今後の対ミャンマー支援が決定されました。具体的には遅延損害金を含めた5,025億円の過去の対ミャンマーODAの返済が免除され、更に、50億円規模の円借款を開始し、インフラ等の整備を推進することで合意しました。また、先述の「日本・ミャンマー首脳会談」において、今後、毎年400名規模の留学生及び研究員の受入れ・民主化推進のための人材育成が決定されました。また2014年には両国外交関係樹立60周年を迎えています。
      民間レベルでも、外資銀行ライセンスや外資保険業ライセンスの付与などを見ても、日系企業が長年にわたり事務所を設置して活動を行ってきたこともあり、優先的な配慮がなされており、官民ともに友好的な関係を築いているといえます。
      ODAのほか、日本からの技術支援や投資にも大きな期待が寄せられています。日本企業もミャンマーに熱い視線を向けており、視察ラッシュが今まさに起きているところです。ミャンマーは世界有数の親日国でもあり、タイ人以上に日本へのあこがれが強いことが特徴的です。たとえば、大学生の習う外国語の一番人気は日本語ですし、日本製品に対する信頼性も他のアジア諸国と同じく高いものがあります。日系企業に就職したい、日本と何らかの形でつながりを持ちたいという人も多く、日本製の自動車、電化製品はもちろんのこと、日本文字までもが彼らにとってはブランドになっています。
       
      ■ 在留邦人
      在留邦人は、2014 年 1の海外在留邦人数調査統計によると 1,330 人となっています。性別の内訳は、男性 898人、女性が 432 人、 企業別では民間企業関係者が736 人、自由業関係者が 93 人などとなっています。