タイ

1 章 基礎知識

    • タイの基礎知識

      ■正式国名
      タイ王国 
      タイ語名:プラテート・タイ/ราชอาณาจักรไทย
      英語名:Kingdom of Thailand 
       
      ■国旗
      タイの国旗はトン・トライロング(三色旗)と呼ばれています。それぞれの色は、青:国王、白:宗教、赤:国家、および国民の団結心を表しています。
       
      ■面積・国土
      タイは、カンボジア、ラオス、ミャンマー、マレーシアと国境を接し、またアンダマン海・タイ湾というふたつの海を擁しています。東南アジア・インドシナ半島の中央に位置し、インド/ヨーロッパ方面と中国とを繋ぐ交易の拠点として古くから発展を遂げてきました。
      国土面積は、513,115平方キロメートル(日本の約1.4倍) で、フランスとほぼ同じ大きさに当たります。76の県があり、①中部平野地域、②東部海岸地域、③東北部高原地域、④北部及び西部山岳地帯、⑤南部半島地域の5地域に区別され、その大半が平野部となっています。
      また、国土面積の約40%を農地が占めています。
       
       
       
      ■首都
      バンコク タイ語名:クルンテープ・マハーナコーン※/英語名:Bangkok
      ※正式名称
      クルンテープ・マハーナコーン・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー・ハーディロック・ポップ・ノッパラット・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン・アモーンピマーン・アワターンサティット・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット
      バンコクは「天使の都」を意味します。バンコクの人口は約842万人(2011年)で、首都圏面積は1,562.2平方Km(東京都のほぼ4分の3)となっています。
       
      ■年号
      仏暦を使用しています。西暦に 543 年を加えると仏暦になります。
      仏暦2558年=西暦2015年=平成27年
      釈迦の入滅を基準としており、タイの他ではカンボジアやラオスで使われていますが、ミャンマー、スリランカで使われる仏暦は基準の考え方の違いで一年のズレがあります。(タイの仏暦2558年=ミャンマーの仏暦2559年=西暦2015年)
       
      ■気候
      タイは全国的に熱帯性気候です。暑季(3~5 月)、雨季(6~10 月)、涼季(11~2 月)の3 シーズンに大きく分かれます。全国の年間平均気温は約28℃程度で、バンコクでは4月の平均気温は30℃程度、12月の平均気温は25℃程度です。
       
      ■時差
      日本との時差は-2時間(UTC:+7:00)で、日本の正午がタイの午前10時です。サマータイムの導入は行われておりません。 
       
      ■人口
      約6,701万人(2013年/世界銀行)。
      大多数がタイ族で、その他、華僑、マレー族、山岳少数民族等が挙げられます。
       
      ■言語
      タイの公用語はタイ語です。タイ語には独自の文字がありますが、このタイ文字は13世紀末にカンボジアのクメール文字に範をとって作られた表音文字です。現在のタイ文字は44の子音文字と32の母音文字があり、これらを組み合わせ、音節を作り5種類の音調により発音されます
      日常会話では地方によって方言があり、山岳部の少数民族は独自の言語を使用しています。観光地のホテルやレストランでは、英語も通じます。
       
      ■通貨
      通貨はバーツ(Baht、略称:THB)で、補助通貨としてサタン(Satang) (1バーツ=100サタン)があります。
      紙幣は 10バーツ(茶色)、20バーツ(緑)、50バーツ(青)、100バーツ(赤)、500バーツ(紫)、1000バーツ(灰色)の6種類がありますが、 10バーツ札はあまり見かけません。硬貨は 25サタン、50サタン、1バーツ、5バーツ、10バーツの4種類があります。
      3.62円/バーツ(2015年6月30日現在/三菱東京UFJ銀行・TTM)円バーツレートは、2008年のいわゆるリーマン・ショック以降、2.5~3円/バーツの間で安定した推移してきました。
      しかし、2013年以降は、安倍晋三内閣総理大臣の大胆な金融緩和政策による円安や、リーマン・ショック以来順調に回復しているタイ経済の影響などから、3円を越えるバーツ高となっています。
       
      ※三菱東京UFJ銀行・TTMより東京コンサルティングファーム作成
       
      ■タイの宗教
      タイの国教は上座部仏教(小乗仏教)で、国民の9割以上が仏教を信仰しています(仏教(93.9%)、イスラム教(5.2%)、キリスト教(0.7%)、その他(0.2%))(タイ全国の仏教寺院数は約3万、僧侶は約29万人)。 ※出典:在京タイ王国大使館ウェブサイト
      タイは、人口の90%以上という大多数が仏教を信仰している仏教国です。その他の宗教は南部のマレー系住民に多いイスラム教が人口比約5%、中部のベトナム系住民に多いキリスト教が人口比約0.7%などです。また、割合からすれば少数ですが、インド系住民に多いヒンドゥー教やシーク教の人もバンコク等商業地では目にすることがあります。地方に行けば、土着の精霊信仰が仏教と融合しつつも依然として残っているようです。
      憲法上は信仰の自由を保障していますが、国民のほとんどが仏教徒であるため、仏教は実質上の国教と言えるでしょう。実際、国王は「全ての宗教の庇護者」と憲法で規定されていますが、同時に仏教徒でなければ国王には就けないという規定もあります。
      日本と同じ仏教であるとは言っても、日本は厳格な戒律にとらわれず大衆の救済を目指す大乗仏教である一方、タイでは厳しい修行を経た者だけが救済されるという上座部仏教であり、その性格は大きく異なっています。なお、上座部仏教の一面として、修行もそれによる救済も基本的に自分一人のものであることが転じて、「自分さえ良ければ良い」という自己中心的な考え(ヘン・ケー・トゥア)を持つ人が多いとの指摘もあります。
      タイでは、信仰心が篤い人が多く、日本よりもはるかに日常生活に仏教が溶け込んでいます。一時僧制度という一時的な出家を行う伝統的な慣習もあり、一部の公的機関や大企業では出家のための長期有給休暇が認められている程です。
      また、宗教と直接的に繋がるわけでありませんが、タイでは王室や国家を非常に重視していることを忘れてはいけません。王室を批判すれば不敬罪になりますし、タイ人からは冷たい目で見られてしまいます。朝夕二回、公官庁や学校では国歌が流れ、国旗を掲揚しますので、可能な限り動きを止めて敬意を表しましょう。
       
      ■タイの主な歴史
      タイ王国の基礎は13世紀のスコータイ王朝より築かれ、その後アユタヤ王朝(14~18世紀)、トンブリー王朝(1767~1782)を経て、現在のチャックリー王朝(1782~)に至ります。なお、1932年立憲革命が起こり、絶対君主制から立憲君主制に移行しました。タイの主な歴史は以下の通りです。一般的なタイ人はタイ族による初の統一王朝であるスコータイ王朝以降をタイの歴史として認識しているようです。
      7~8世紀
      先住民の中でモーン族のドヴァラヴァディー人がチャオプラヤー川流域に王国を形成
      11~12世紀
      タイ族によって形成された小国家がクメール王朝の支配下におかれる
      スコータイ王朝
      1240年頃~1438年 (仏暦1783年頃~1981年)
      タイ族初の統一国家が成立、タイ文字の制定や上座部仏教が国教となる
      アユタヤ王朝
      1351年~1767年 (仏暦1893年~2310年)
      アユタヤに都を移し、スコータイ王朝を滅ぼす
      1767(2310)年 ビルマに敗北
      トンブリー王朝
      1767年~1782年 (仏暦2310年~2325年)
      1767(2310)年 アユタヤを奪還し、トンブリーを新たに王都へ
      チャクリー王朝
      1782年~現在 仏暦2325年~現在
      1939(2482)年 呼び方をサイアム(シャム)国からタイ国に改める
       
      ■政治体制
      政体 立憲君主制(1932年以降)
      元首 プーミポン・アドゥンヤデート国王陛下/King Bhumibol Adulyadej (Rama IX)
      現国王陛下は1927年12月5日生、1946年6月即位、1988年7月にタイ国王の中で在位最長記録(ラーマ5世の42年22日間を更新)を達成し、2015年6月9日で在位69年を迎えられました。
       
      行政組織
      内閣は国王によって任命された首相1名及び35名以内の国務大臣(大臣・副大臣)によって構成され、中央行政組織は、1府19省よりなり、各省庁には国務大臣及び一部省庁には副大臣が任命されています。現在の暫定首相は、プラユット・チャンオチャ(1954.3.21~)であり、現内閣は2014年8月に発足しました。
      地方行政は、内務省を中心とする中央政府による監督下の地方行政単位である県(チャンワット)、郡(アンプアー)、町(タムボン)、村(ムーバーン)、及び特別法に基づく、県行政機構、町行政機構、バンコク都、パタヤ特別市という地方自治体が混在しています。
      県知事、郡長は内務省官僚から任命されるものですが、バンコク都、県行政機構等の地方自治体の首長は公選です(ただし、パタヤ特別市は独自のシティ・マネージャー制を採用)。
       
      国会
      上院(議員数150名、任期6年)及び下院(480名、任期4年)で構成されています。下院480名のうち400名が中選挙区制により、また残りの80名が全国を8つのブロックに分けた比例代表制による選挙で選出されます。上院については、150名のうち77名
       
      ■教育制度
      タイでは、1999年に制定された国家教育法により教育改革が進められ、教育制度は、1978年より日本と同じ6・3・3・4制が採用されています。就学前教育(幼稚園)、初等学校(小学校)、前期中等学校(中学校)、後期中等学校(高校)、高等教育機関(大学等)で構成されており、義務教育期間は初等学校の6年間と前期中等学校3年間の9年間で、こちらも日本と同様です。
      2006年の教育省統計によれば、後期中等教育(高校)が65.8%、高等教育(大学(公開大学を含む))が68.1%となっており、義務教育が終了する前の前期中等教育(中学校)の96.7%から大きく低下していることより、義務教育を終えた段階で就業する割合が高いことが伺えます。なお、ユネスコの推計によれば、2007年における識字率は98.2%でした。教育水準は比較的高いと言えるでしょう。
       
      ■日・タイ関係
      1991年9月には天皇・皇后両陛下がタイを御訪問され、2003年8月、シリキット王妃陛下72歳慶祝及びウボンラーチャターニー大学からの名誉学位授与のため、秋篠宮同妃両殿下及び両内親王殿下がタイを御訪問され、2006年6月のプーミポン国王陛下在位60年慶祝式典に際して、天皇皇后両陛下が再びタイを御訪問されています。2007年9月には日タイ修好120周年を迎えており、人的交流の拡大、持続的な日本の対タイ投資及び日タイ経済連携協定等経済関係の強化等、両国関係はますます緊密度を増しています。また2013年には安倍首相が就任後初の外国訪問先の一つとしてタイを訪問、タイ政府からは2015年2月と3月にプラユット首相がそれぞれ訪問、そして2015年4月にはシリントン王女殿下が日本を訪問されており、近年もその友好関係は変わらず維持されています。
      一般的にタイ人の対日関心は高いといわれており、一般市民及び有識者を含め対日観は基本的に良好だと言えます。日本に関する話題も、経済・政治・外交から文化・観光・ファッション、料理及びハイテク製品等まで幅広く報道で取り上げられており、日本に対する高い関心度が窺えます。特に、アニメ・漫画・映画等我が国のポップカルチャーは、タイの青少年を中心に確実に浸透しており、製造業以外の日本の進出の裾野を広げています。 
       
      ■在留邦人数
      タイの在留邦人数は5万9,270人となり(外務省/2014年)、前年比3,636人の増加となりました。2013年の国別順位では6位であり、このうち33,152人がバンコク在留で、都市別順位4位となっています。また、近年、バンコクの都市別順位は不同で、ロサンゼルス、ニューヨーク、上海に続く在留人数で、まだ増加し続けています。
    • アジア通貨・経済危機以後の政治

      <アジア通貨・経済危機>
      1997年初頭、海外で調達された資金の不動産への流入などにより、タイ経済はバブルさながらの様相を呈していました。しかし、国際的投機筋の動きもあり、バーツ切り下げの圧力が高まった結果、政府は為替管理制度を通貨バスケット制から管理フロート制に移行しました。1997年7月2日のことです。
      その結果、バーツは大きく売り込まれ、その動きは他のアジア諸国に波及し、アジア各国通貨が暴落することとなります。この結果、金融機関や企業破たんが相次ぐ経済混乱に陥りました。これがいわゆる「アジア通貨・経済危機」です。
      同年8月5日、タイはIMF融資172億ドルの受入条件を受諾し、抜本的な経済構造改革に着手し、10月には、民主化を推進する憲法改正を行いました。

      <タクシン政権の発足>
      このアジア通貨・経済危機の経済低迷が回復基調にあった2001 年、タクシン・チナワットを党首とするタイ愛国党が、中小企業や農村重視の姿勢を打ち出し(「デュアル・トラック・ポリシー」)、国民の支持を得ました。そして同年の総選挙で圧勝しタイ愛国党と、新希望党、国民党、自由正義からなる4 党連立のタクシン政権が発足しました。国民の高い支持と下院における安定多数を背景に、2005年1月には、タイ政治史上初めて、議会の任期を満了する政権となり、同年2月の下院総選挙を経てタイ政治史上初めて一党単独政権となりました。この間、これらの内需拡大政策の効果と見られる個人消費の活性化等もあり、経済は2007年頃まで比較的高い成長を続けます。

      <タクシン政権の崩壊とその後の政治混乱>
      ところが、2006年になるとタクシン首相の政治手法、シンガポール系企業への株売却に絡む不正疑惑が浮上し、市民民主化同盟(PAD、通称「黄シャツ」)を中心とする反タクシン運動が高まります。首相は下院を解散し、4月2日に総選挙を実施しました。主要3野党はボイコットし、愛国党は過半数票を得ましたが大量の白票で定員割れし、首都などで市民デモが繰り返され、首相は退陣の意向を表明しました。憲法裁判所は選挙無効の判断を下し、再選挙が行われる予定でしたが、9月19日夜、政治的混乱を収拾するとしてソンティ陸軍司令官率いる軍がクーデターで実権を握り、タクシン政権は失権しました。

      <タクシン政権崩壊後の政治混乱>
      政変を受けて発足したスラユット枢密院顧問官(元国軍最高司令官)を首班とする暫定政権の下、憲法起草議会により新憲法の起草が行われ、2007年8月にタイ政治史上初の国民投票が実施され新憲法が制定されます。
      同年12月23日、同憲法に基づき下院総選挙が実施され、愛国党を継承する国民の力党が過半数に迫る議席を獲得し、2008年2月6日、同党を中心とする6政党によりサマック党首を首相とする連立政権が樹立されます。外遊中のクーデターにより帰国できなかったタクシン元首相は、ロンドンなどを拠点に復帰の道を探し、親タクシンのサマック政権が発足したのを見届けて同月末、帰国を果たしました。 しかし、PAD による反政府デモが激化し、カンボジアとの国境地帯にあるプレア・ビヒア寺院の世界遺産登録をめぐる政府の対応やテレビ料理番組出演問題への違憲の判決でサマック首相は失職し、サマック政権は崩壊しました。
      その後、ソムチャイ前副首相が国民の力党ほか連立与党の支持を得て新首相に指名され、同年9月25日、ソムチャイ内閣が発足します。ソムチャイ首相は、首相府の占拠を続けるPADに対し対話の姿勢を示しましたが、間もなくPAD幹部の1名が逮捕されると、PADのデモは激化の一途をたどります。PADのデモ隊は、同年10月には新政権の施政方針演説と憲法改正の審議を阻止するため国会の包囲を行い、更にスワンナプーム国際空港、ドンムアン空港を占拠するなどして、ソムチャイ政権の退陣を迫りました。これに対し、政府は緊急事態宣言を発出し、警察によるデモ隊の排除を試みましたが、デモ隊による両空港の占拠は続き、出国できない多数の外国人旅行客が滞留する異常事態となりました。こうした状況の中、同年12月2日、2007年の総選挙における党幹部による選挙違反の案件を審議していた憲法裁判所は、国民の力党、タイ国民党、中道主義党の与党3党に対し、解党判決を言い渡し、3党の党首及び役員全員は5年間の政治活動禁止の処分を受けます。これにより、ソムチャイ首相は失職し、ソムチャイ政権は崩壊しました。
      この2008年には、反政府デモ隊の活動の活発化により政局が不安定化したことに加え、折しもインフレ率の上昇で減退し始めていた消費や投資のマインドが悪化するとともに、先の空港占拠等による緊急事態宣言の結果、観光業も大きく停滞し、成長率は低下を始めました。

      <アピシット内閣の発足>
      このような流れの中で、国民の力党内で最大派閥を形成していたネーウィン派が民主党と解党されたタイ国民党及び中道主義党の議員、国家貢献党の一部の支持を受けたため、2008年12月15日、下院においてアピシット民主党党首が、首相に選出され、22日、民主党連立政権が成立しました。アピシット内閣は、世界金融危機と国内の政治的対立によりタイ経済が大きな打撃を受けているとし、「社会におけるタイ人相互の調和・思いやり・幸福を回復するとともに、現下直面している経済危機を乗り越えていくことで、タイの発展を安全確実かつ持続的な形で実現していく」という経済政策を示し、海外の輸出市場の景気回復に伴うタイ経済の復興を目指しています。

      <アピシット内閣、インラック内閣、軍政への変遷>
      アピシット内閣発足2年を振り返るに当たり、2010年12月24日政府官邸より2年前との比較情報が公開されました。
      リーマン・ショック等の影響もあり、現政権が発足する以前は、GDPがマイナス成長し、失業者が200万人に達する等、経済の悪化が予想されていました。しかし、この2年で、輸出動向の改善にも支えられ、2010年のGDP成長率は7.9%という驚くべき回復を遂げています。また、失業者も2010年には34万3千人(失業率0.9%)にまで減り、輸出額は前例のない177億ドルにまで上昇しています。観光客数も、2008年には1,460万人だった観光客数が2009年に1,410万人に落ち込むものの、2010年には1,520万人に急増しました。これらの数値は、株価指数を2倍にも引き上げる効果をもたらしています。
       

      ただし、国内での評価は成長率ほど高くはなく、私立バンコク大学がタイのエコノミスト76人にアピシット政権の経済政策の評価を聞いたところ、総合評価は10点満点中5.12となっています(調査期間:2011年5月10日~13日)。項目別の点数は「国内総生産(GDP)の成長」が6.85と最も高く、続いて、「公的債務の管理」は5.03、「社会正義の実現、経済格差の是正」は4.76、「物価上昇の抑制」は4.00でした。この点を考えると、経済成長率の数字ほどに、政府が支持された訳ではないようです。
      2013年11月にタクシン元首相の帰国・復権につながる恩赦法案がタクシン元首相の実妹であるインラック元首相率いる与党タイ貢献党を中心に下院で強行可決されたことをきっかけに、再び大規模なデモが発生すると、一時安定したかと思われた政情は再び不安定な状態に陥りました。2013年の経済成長率は政治混乱でタイ中央銀行の当初の予測4.5%から2.9%に下がり、かつて年率15~20%で成長していた輸出額成長率は、2011年以降ほぼゼロとなっています。
      その後、恩赦法案は上院で否決されましたが騒動は収まらず、2014年5月にタイ陸軍司令官のプラユット氏率いる国家平和秩序維持評議会(NCPO)が軍事クーデターを決行しました。NCPOは暫定政権を発足させず、自ら政治・選挙制度改革を行う予定で、民政復帰のための選挙は2016年としています。